金曜日, 8月 30, 2019

司馬遼太郎著「空海の風景 下」、遣唐使として波風に翻弄されながら唐に漸く辿り着いた空海一行はさらに長安の都へと、そこで果たして空海が見た光景は想像を絶するものだったに違いない。異域から長安の都に、しかし空海は信念を持って密教の世界を金剛界と胎蔵界という密教の深奥を極めるべく天才ぶりを発揮し恵果という僧の元で教えを受け密教の全体像を把握し論理を体系化し即身成仏の思想に僅か二年の間に会得する。空海の天才ぶりは破天荒だった。帰国後の空海は嵯峨天皇の庇護の元で一方先に帰国し同じく庇護を受けた最澄との確執を経て高野山に一大伽藍を建立する。空海の想念の先に何時も長安の都があり、密教を日本人として初めて思想体系を構築した偉大な生涯に思い馳せる著者の渾身の作だ。

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