金曜日, 5月 14, 2010

ドストエフスキー著「罪と罰」第3巻を読んで。

「罪と罰」を読むに当たって、作者の宗教観、愛について、人生について、運命についてを読み取ろうと意図したが、遥かに深く前述の全てについて書かれているようである。ラスコリーニコフは以前として精神的に追い詰められた状況下で彷徨いながら、刻一刻と自首へと傾斜し遂に警察の門をくぐることになった。この巻は罰の章である。選民思想、貧困、ロシア国内の状況下でのラスコリーニコフの決断は鬼畜金貸し婆の殺人であった。悔いることの無い決断はやがてソーニャとの邂逅によって、徐々に神へと近づいていくことになる。つまりソーニャこそが、神の化身ではないか。やがて判決が下り寛大な8年というシベリア流刑であった。流刑地まで追ってゆくソーニャは、即ラスコリーニコフは神を背に刑期を全うしようとする姿ではなかったか。何れにしても、こんなにも深く面白い小説こそ古典といわれる由縁であろうか。

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