木曜日, 8月 19, 2010

柿崎一郎著「物語 タイの歴史」を読んで。

タイ周辺の国、東シナ半島周辺のベトナム、カンボジア、ビルマ(現ミャンマー)との対立抗争と国内での政変(クーデター)を繰り返し、現プミポン国王(ラーマ九世)へと変遷するタイの歴史は、正に抗争の歴史である。なかでも14世紀のアユタヤ王朝400年の歴史は堅固な王政ととも、今に見る世界遺産の建築寺院を始め文化の発展にも多く寄与した。

月曜日, 8月 16, 2010

角川歴彦著「クラウド時代とクール革命」を読んで。

IT、ICTと呼ばれる情報技術の覇権も既にアメリカに握られている。WebからYuTube、iPODやiPHONEそしてiPADつまり、出版・書籍から音楽そして映像、地図さらに通販と既に身の回りの全てに於いてマイクロソフト、グーグル、アップル、アマゾンなど巨大IT企業の下にある。日本の未来はあるのか?の問いに著者は、クール革命が必要であると。過去読んだ野村総研のIT市場分析では、日本のガラパゴス化は世界の市場から見放されグローバルスタンダードから乖離し世界市場に打って出られないと分析されたが、著者はガラパゴス化で結構という。日本独自の技術文化は、外国人から見てクールだと思われるコンテンツを掘り進め提供すべきだと、著者が言う2014年がその革命の年であると。今やアメリカの巨大IT企業は、こぞってクラウド化に突き進んでいる。このクラウド市場でも日本は遅れを取り戻さなければならないと著者は懸念する。

土曜日, 8月 14, 2010

五木寛之著「仏教のこころ」を読んで。

現代の於ける「仏教」の意味というか役割はどのようなものか?著者の真摯な問いがこの本を書いた動機でもある。この本の中で面白いと思ったのは、キリスト教布教の日本と韓国の違いである。日本のキリスト教信者は推定百数十万、これに対して韓国は一千二百五十万にも上るという。国民の25%にも達する。この違いこそが日本人の特性であると。神仏の区別なく混淆した日本人の精神構造は、私はその風土に今風に言えば、自然環境にあると思う。四方を海に囲まれ清らかな山河と四季は、日本人の精神構造を規定した大きな要因だと思う。仏があり、神様がある。この宗教観は世界的に見ても唯一無二の日本人特有なコンプレックス(複合的)な寛容と共生を可能とする意識構造を獲得したように思う。今イスラムとキリストの宗教対立が伴う戦争が、21世紀の世界に暗い影を落としている状況下で、この日本人の思想こそが世界を救うのではないかと著者は言う。

ウンベルト・エーコ著「薔薇の名前」下巻を読んで。

この「薔薇の名前」は、7日間の修道士ウィリアムとその助手であり見習修道士アドソとの修道院滞在中に発生する殺人事件のプロットである。華麗にして荘厳な修道院は、稀有にして膨大な書物の蒐集しそれを所蔵する文書館を持つが、この複雑な迷路になっている文書館こそが、殺人現場となった。次々と発生する殺人事件の最中に教皇派の使徒団が到着し、異端審問官ベルナールにより一旦は解決したかに見え院長はウィリアムとアドソに退去を命じるが、事件解決の執念を燃やすウィリアム修道士は遂にその核心へと踏み込む。事件は、一人の盲目の老修道士ホルヘの一冊の書物を廻る異常なまでの神への服従が齎した結果であった。

土曜日, 8月 07, 2010

ウンベルト・エーコ著「薔薇の名前」上巻を読んで。

著者ウンベルトは、イタリアの哲学者でもあり小説家である。14世紀、教皇と法王との宗教対立を背景に描かれたミステリー長編小説である。イタリア北部を中心に当時ヨーロッパの修道士、修練士の名前はミステリーとしては、あまり出てこない長ったらしい名前は読者を辟易させるに十分だ。精緻な歴史的な背景描写とアビニョンにある壮麗で複雑な数学的要素を取り入れた建築である物語つまり殺人現場であるメルク修道院の中で暮らす修道士の生活を通して、腐敗した宗教の実態が細かく記述されており小説とは思えぬ背景描写は、読者にとっては余りありがたくない。フランシスコ会修道士ウィリアムと修練士アドソが、調停の為メルク修道院に派遣されてから直ぐに殺人事件が発生する。修道院長に全権を委任され事件捜査解明にあたる二人は、修道院の秘密を次々と明るみに出すが、解明に至らぬまま次々と修道士が殺害され未だ、殺人犯人の特定ができずに。修道院の複雑な建物設計にかかわる殺人ミステリーというと、綾辻の暗黒館の殺人を思い出す。