土曜日, 9月 25, 2010

村上春樹著「ノルウェイの森」上巻を読んで。

著者の本は、この「ノルウェイの森」で3作目の読破となる。海辺のカフカ上下巻と1Q84の3部作そして今回の書である。自然から始まり女性、性とその類まれな文章の表現力は驚嘆に値する。そしていつも著者の小説にみる「人生」=「不安」「孤独」というテーゼが、各作品を貫いているように思う。主人公は37歳になるワタナベ君なる人物で18年前の青春の回想の物語である。ある大学の寮に住む主人公の青年を取り巻く同室同僚、頭の切れる永沢、そして恋人直子、大学の同僚緑。直子は元々同僚キズキ君の恋人だったが、彼は交通事故死となって、それ以降ワタナベ青年との交際が始まるが、彼女は精神疾患で京都の山深い療養所に行ってしまう。

日曜日, 9月 19, 2010

ドン・ウィンズロウ著「ストリート・キッズ」を読んで。

1970年代中期の著者の処女作と思われる「ストリート・キッズ」を読む。二ール・ケアリーなる主人公は、父母に見捨てられたストリート・キッズだ。父さんと呼ぶジョー・グレアムに育てられ、掏りの手口やらを入念に指導を受け成長する。大学院進学を前に、銀行の裏組織「崩友会」なる組織より、家出した娘、チェイス米上院議員の娘の捜索を指示され、ロンドンへと赴く。麻薬中毒と売春婦として生けるアリーを発見、アメリカ故郷へとアリーを奪還すべくニールの冒険が始まる。「犬の力」「グラーグ」シリーズを読んだ後では、聊か拍子抜けするが、著者の現在に至る軌跡をトレースできた気分であり、500ページにも及ぶ長編にも拘らず一気に読める一冊であった。

木曜日, 9月 02, 2010

梅棹忠夫著「情報の文明学」を読んで。

著者のものを十数年前に読んだ。「知的生産の技術」岩波新書だったと記憶している。読後、京大式カードを作成した覚えがある。フィールドワークの情報整理からの発想だったように思う。そんな著者が、A・トフラーの「第三の波」が発刊されたのが1980年、文明史観というか未来学的発想に目を見張った、正に目から鱗状態であった。その「第三の波」より先んずること17年、つまり1963年に情報の文明学なる本を書いた著者を天才と思う。日本で初めて「情報」という言葉に定義を与えた人物であった。現代のコンピュータリゼーション生ける我々はともすると、情報産業やらつまり情報という言葉が、ITを指し狭義の意味として使用されている。情報とは、文明を区画する時代の遷移をも意味する歴史的文明的なものだと著者は言う。