最近は、読みかけの本が3冊中でも、このフーコーの著作は難解である。哲学の領域に入るこの本は、じっくりと腰を落ち着け精神を集中して読む必要がある本である。フランス哲学界をサルトルが席巻する後数年後フーコーが現れる。歴史認識と当時実存主義の概念「投企」にサルトルの著作「実存主義はヒューマニズムである。」から、感銘を受けたのを思い出す。サルトルの歴史への関与とフーコーの関与とは、全く違うことがこの本で哲かだ。歴史を個人の人生の中で昇華する言葉としての「投企」とフーコーの言う「狂人」とは、逆方向にある。歴史は、連続する時間の連鎖のレールの上に個人を乗せるという思考と、実存主義が言うところの「人間主体」の作る歴史という概念の相違に戸惑うばかいりである。久しぶりに哲学書に接したが、20世紀初頭とこの現代のグローバル化され、世界的金融機危機マネーが席巻する世界の中の哲学とは無縁の精神世界の物語と感じてしまう。フーコーの言うようにヘーゲルで哲学は終焉し、大学での講義用の学問というか知識でしか無くなったように思う。グローバル化され、ネット市民社会で生ける人間の人間学というか歴史への関与とか、全く異質の現実の中に我々が生きていることを感じ、この世界市民としての「人間」とこの人間が生きる社会と歴史を解明し、統一した世界観というか理論を展開する「狂人」「天才」が出現するのを待たねばならないのだろうか。
金曜日, 4月 24, 2009
土曜日, 4月 04, 2009
野村総研 城田真琴著「クラウドの衝撃」を読んで。
今後10年少なくとも3年の間話題を独占するIT用語が「Cloud」つまり雲を想起させるネットワークインフラとしての「クラウドコンピューティング」であると著者は言う。メインフレーム時代からC/SさらにWebそしてクラウド時代へ変化するコンピュータ業界は、「分散」と「集中」を繰り返しながらパラダイムシフトして来た。クラウド時代は「集中」へと再び向かう、しかも一部のメガプロバイダーとして、Google,Amazon,SalseForce.comという一部の巨大サービスプロバイダーが提供する3つのサービスとは「SaaS」「PaaS」「HaaS」というSoftware as a Service、Platform as a Service、そしてHardware as a Serviceだ。つまりソフトウェアからそれを動作させるプラットフォーム、OS,
Middle Wareさらにハードウェアまでもクラウドコンピューティングを利用して実現できるとうものだ。では一体クラウド時代が到来した折に、我々システムインテグレータはどのようにシフトしていくべきか?著者は、また私も読んで感ずるところは、「何をどこまで、クラウド・コンピューティング・サービスに頼るのがベストか?」つまり、TCOの削減を念頭にミッションクリティカルな、ユーザーにとって基幹となるシステムは、独自に構築し、ユーザ社内にサーバーを配置し依然として保守を含む多くの部分をシステムインテグレータが関与する必要があるという。また非ミッションクリティカルでないコアーでない部分は、クラウドを利用する、ストレージ、メール、表計算、ワープロ、CRM、スケジュール、電子会議等々だ。この棲み分けを提案するようにすべきだと考える。それにしても米国企業グーグルを筆頭に巨大なデータセンターを全世界、地球規模で展開設備を拡大していくのを考えると、米国の国家戦略ストラテジーだと感じてしまうのは私だけであろうか。
Middle Wareさらにハードウェアまでもクラウドコンピューティングを利用して実現できるとうものだ。では一体クラウド時代が到来した折に、我々システムインテグレータはどのようにシフトしていくべきか?著者は、また私も読んで感ずるところは、「何をどこまで、クラウド・コンピューティング・サービスに頼るのがベストか?」つまり、TCOの削減を念頭にミッションクリティカルな、ユーザーにとって基幹となるシステムは、独自に構築し、ユーザ社内にサーバーを配置し依然として保守を含む多くの部分をシステムインテグレータが関与する必要があるという。また非ミッションクリティカルでないコアーでない部分は、クラウドを利用する、ストレージ、メール、表計算、ワープロ、CRM、スケジュール、電子会議等々だ。この棲み分けを提案するようにすべきだと考える。それにしても米国企業グーグルを筆頭に巨大なデータセンターを全世界、地球規模で展開設備を拡大していくのを考えると、米国の国家戦略ストラテジーだと感じてしまうのは私だけであろうか。
金曜日, 4月 03, 2009
C・J・ボックス著「ブルー・ヘブン」を読んで。
著者の作品は始めてである。550ページにも及ぶ長編ミステリーだが、読者を飽きさせない背景と主人公とその周辺人物の多様な描写と展開が、多分最後のページを繰るまでにさせるのだろう。物語はアイダホ州の田舎町で起きた、アニーとウィリアムの幼い姉弟が釣りに出掛け殺人現場を目撃してしまうところから始まる。殺人を犯した犯人は元ロサンジェルス市警の警官4人であった。シンガー、ゴンザレス、スワン、そしてニューカークが、もう一人の仲間を銃殺したのだ。彼らは、13年前に競馬場で現金強奪事件を起こした犯人仲間の市警察官であった。強奪した現金をアイダホの銀行に少しずつ預金し後で、分け前とする筈であった。銀行家のジム・ハーンは、マネー・ロンダリングとしりながら預金について目を瞑った。そして殺人を目撃した姉弟を匿う事になった牧場主のジェス・ロウリンズは、妻にも離婚され、息子は精神障害、親父からの遺産の牧場の経営は行きづまっていた。そんな彼を主人公として、昔見た西部劇の主人公ばりに仕立てて、事件は壮絶な銃撃線を交えて解決へ。犯人ら、またもう一人のロス市警退職警官ヴィアトロ、幼い姉弟、そして魅力的で奔放な母親モニカは銀行家ジム・ハーンとの子供がアニーだと、様々な伏線を用意した著者の周到な展開に読者は魅了され、遂に最後のページへ、そして読後何故か不思議な安堵感を覚えるのは私だけであろうか。
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