司馬遼太郎著「関ケ原 下」、関ケ原の盆地に武装して集結した軍勢は東軍、西軍を合わせ十万余であり日本最大の合戦、その東軍を束ねるは徳川家康であり方や西軍は石田光成であった。巧緻な戦略を遺憾なく発揮した家康の策謀は間諜を使い次々と西軍の諸将に働きかけ寝返りをさせ自軍の重要な戦力とした、一方で光成は計算知能に優れているが孟子の言う義でもって戦争を乗り越えようと全く現場を把握できなかった得意の性格の持ち主だった。家康の知略と胆力に完全に光成は敗れた。戦場に集う武将たちの置かれた状況と右往左往する気持ちの描写力はまさに著者の得意とするとこれである。
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