木曜日, 8月 31, 2006

異邦人 を読んで。

カミユの異邦人を読んだ。以前読んだ記憶があるが定かではない。「きょう、ママンが、死んだ。」で始まるムルソーが、死刑囚として死と直面して行く。神を否定し、現実にある全てのものをあるがままに肯定するムルソーは、カフカの「変身」のグレーゴリとは異質なものだ。「人生は生きるに値しない」というムルソーは、サルトルの実存主義とも違うように思う。

日曜日, 8月 27, 2006

ウェブ2.0は夢か現実か? を読んで

著者は、毎日新聞の記者及びアスキーにも籍を置いたジャーナリストである。コミュニティーベースでのビジネスを展開する企業をウェブ2.0企業というそうだ。それにしても広告費で飯を喰っている企業の多いことが改めて実感する。この広告をどのメディアが制するか。テレビを主体とするオールドメディアかまたコミュニティビジネスを展開するウェブ2.0系企業メディアか?。やはりB2Cを考える時、まだまだウェブは可能性を無限に含んでいると思う。オールドメディアがウェブにそのシェアーを受け渡すのは果たして何年先になるだろうか。近い将来に違いない。またヤフーで成功しているポータルサイトは今後も続くのであろうか。

水曜日, 8月 23, 2006

季語集 を読んで

実は、俳句に関する本を読んだのはこれが初めてである。五七五のリズムはいい。俳句には必ず季語を入れる。多種多様な季語があるには驚いた。中でも「あんぱん」も春の季語だと言う。読んで見て、日本に根ずく生活・行事から動物・植物まで、知らないことが多い。手元に置いて、句が読めるようになったら使いたい。

月に吠える を読んで。

萩原朔太郎の詩集である。著者31歳1917年刊行だ。古里群馬県前橋市の生まれで、生家は東大医学部出身の繁盛している医院であった。裕福な家に生まれた著者の人生は波乱の一言であった。詩全般に漂う孤独・寂寥感そして独特なリズム感は彼独自で今でも新鮮だ。

火曜日, 8月 22, 2006

変身 を読んで。

十数年ぶりに、読み返した。ある朝目覚めると。。で始まる。グレーゴリの大きな褐色の昆虫への変身は、何を意味するのであろうか?と再び考えてみる。グレーゴリのサラリーマンとしての日常、昆虫への変身は日常性の否定・逃避・孤独なのか、或いはまた現実世界との錯綜として捉えるのか。現実の日常と変身後の日常が同居する異常な世界とは、リアルであるものが、非リアルと同居する、つまり現実に見えるものが確かに現実なのかどうか不確かであるという著者の絶望的な孤独しか読み取れない。

月曜日, 8月 21, 2006

シャーロックホームズの冒険 を読んで

30数年前に読んだ経緯があり、今回手に取ったがドイルの卓越した推理・観察眼と短編に凝縮させる構成力は、現在でも水々しく輝いている。数年前にスコットランドへのゴルフの旅の途中立ち寄ったエジンバラは、スコットランドの首都であり、城下町風な情緒ある古都であった。彼はここに生まれたことをこの本で知った。感慨深く思う。

金曜日, 8月 18, 2006

地政学で世界を読む を読んで

十数年も前、地政学に関する本を読んで、戦略のない「日本」を感動を持って理解した経緯があった。今回著者のブレジンスキーは、米国の国際政治学者であると同時にクリントン政権の大統領補佐官であったと記憶している。地政戦略は「ジオポリティクス」といわれるが、米国のこの分野での研究は他国を圧倒する。日本を取り巻く地政戦略状況は多くの問題を孕んでいる。中国の台湾統一問題と中国の民主化、中国との南シナ海での海底資源の覇権に伴う領有権、尖閣列島での領有権、韓国との竹島問題、朝鮮半島の統一問題、北朝鮮のミサイル・核・拉致の問題、千島列島(北方領土)でのロシアとの領有権問題と、どれ一つをとっても民族紛争に発展しかねない重要な問題ばかりである。では一体日本の取るべき道とは如何なるものであるか。著者曰く米国にとっての日本は、日米安保の傘下で東アジアの超大国としてでなく、世界に貢献する国として育て導き中国との緩衝国としの位置を確保しつつ、中国の民主化がスムースの移行できるようにする為の地政戦略上の同胞であると。
この書を読んで、熟思うのは国家及び構成員としての人間の欲望というか、万能の神の下で或は地球規模で見て小さな領有権、覇権というエゴが永久に続いている。本当に懲りないなという感想である。

木曜日, 8月 17, 2006

武士道 を読んで

新渡戸稲造が、米国滞在中に著した英文の翻訳である。定番である矢内原忠雄訳でなく、奈良本辰也訳本である。明治の時代に半ば世の中の移り変わりを憂えまた、外国人に対する日本国理解の為に書かれたものであった。と思われる。日本人の精神の中核を「武士道」と見る著者は、キリスト教・宗教との対比から騎士道はたまた「薔薇」と「山桜」「アングロサクソン」と「日本人」というように豊富な例を交え解説する。その武士道が封建社会の中で、日本固有の風土の中に生まれたとするが、その詳細な起源とか経緯とかは定かではない。儒学・儒教が日本の「風土」の中で洗練されて来たというべきなのだろうか。

土曜日, 8月 12, 2006

読書の方法 を読んで。

吉本隆明のこの本を読んで、私が所謂古典ものをほとんど読んでないことに気づく。もの書きをする人の読書はすごいなーと。でも結局読書は、「自分探しの方法でしかない」というのが感想だ。本の世界で遊ぶ気楽な読書もあっていい。と思う。ただ読むにつれ、次から次へと興味が沸々と沸き上がり、つい色々と手を出してしまう。一貫性のない読書を世で言う「乱読」と言うのだろうが正に自分のそれだ。

木曜日, 8月 10, 2006

もっとソバ屋で憩う?きっと満足123店 を読んで

杉浦日向子さんが、参加する「ソバ好き連」「ソバ屋好き連」略してソバ連そしてソ連のメンバーが名店を紹介する。午後2時から3時頃来店し、空いている時間帯にちょいと一杯引っかけながら、ソバを楽しむという至上の喜びを持って、あー日本人で良かったと言う。著者は、35歳にして「隠居」リタイアーして、昨年7月46歳で亡くなっている。

水曜日, 8月 09, 2006

一日江戸人 を読んで

江戸庶民の日々の暮らしぶりが、細部に描かれていて興味深い。現代人が「EDO」をする視点で書かれているのも良い。衣食住から、粋、洒落、春画とまさに「軽妙洒脱」の一言。最後の章の「あなたの江戸っ子度?」の十八項目のチェックをしたら、並の東京人ということだった。

火曜日, 8月 08, 2006

大江戸見聞録 を読んで。

この本は、江戸を紹介するとともに、江戸文化歴史検定試験の標準テキストになっている。テキストだけにあまり面白くない。杉浦日向子氏の江戸に関する著述の方が数段面白く細部に渡る江戸文化かから庶民の生活全般まで、また日本人の精神構造の中核としての江戸を満喫できる。

日曜日, 8月 06, 2006

下流社会 を読んで

現代社会の階層化を消費論と抱き合わせて語る本書は、中々面白い。階層化・クラスタ化が進んでいるという団塊ジュニア世代1971年から1978年生まれの世代の意識調査と消費及び生活について様々な統計により分析を試みる。この書を読んで、恐ろしく思うのは政治政策が10年、20年後の国民の意識を変えクラスタ化するという現実である。米国のような差別社会の到来は55年体制から始まったという。また今後の団塊世代1200万人の行く末はどんなになるだろうと思う今日この頃である。

土曜日, 8月 05, 2006

あなたに不利な証拠として を読んで。

著者の体験を踏まえた、警察小説とでも言おうか物語である。女性制服警察官として5年ほど実際にルイジアナ州の警察官の経験を持つ著者の処女作だと。この本の最終章の「生きている死者」は、グイグイと読む者を物語の中へ引きずり込む迫力がある。5人の女性警察官の織りなす物語が絡み合い、スムーズに読むことができない章があるが、何れにしても米国の現実的な犯罪を追う或は起こってしまった犯罪の後処理をする警官の日常の物語である。人を簡単に「殺す」「殺してしまう」という社会の裏にあるのは「貧困と差別の階級社会構造」かもしれない。

水曜日, 8月 02, 2006

お江戸風流さんぽ道 を読んで

江戸庶民の生活が、書かれている。徳川時代に人工的に造られた「江戸」は、世界に冠たる百万都市であったという。地方から江戸へ様々な場所から出てきた人々が江戸に集まり生活する中で、色々な文化が花開く。以前山岡壮八「徳川家康」26巻を読んだが、改めて家康の質素を旨とする「基本方針」その後の15代に渡り264年間という長きに渡り、世界でも類を見ない平和な国家を維持し続けたのは驚異的である。もしも徳川の藩政に自由がなかったら、「江戸文化」の隆盛は見られなかったに違いない。

火曜日, 8月 01, 2006

PostgeSQL徹底入門 を読んで。

久し振りに、コンピュータ言語関係の書を読んだ。オープンソースのSQLDBである「PostgreSQL」とPHPというWeb言語の所謂「Web+DB」である。Posgreをインストールし、次にWebサーバーであるApacheをインストールし、さらにPHPをインストールして、2、3の例文を記述して動作を検証した。

鴨川ホルモー を読んで

著者は30歳といはいえ青春の恋する男心というか、機微を文章で表現する能力たるや感嘆に値する。奇抜でユーモラスでいて懐かしさのあるストーリーの展開には、正直マイッタ。一気に読み終えてしまう。読後の爽快感もある優れた著作であった。「人生は、諸行無常、鬼の霍乱」。