日曜日, 6月 26, 2011

ライフ・エキスパート編「頭がいいゴルファー悪いゴルファー」を読んで。

ゴルフに対する蘊蓄が随所に書かれ、身につまされる。本書は、初心者の時、読みたかったと思う。30年もゴルフ歴がある私が読んでも、ゴルファーの心理は、あるいはコースマネージメントをできないモドカシサがある。つまり、1番ティーに立ってもゴルフの頭になかなかなれないというのが、モドカシサだ。ゴルフは難しい、アマチュアにとってもプロにとっても完成つまり到達点というものがない。ある建築家デザイナーが、ゴルフは美だという裏にはこのようなものがあるのであろうか。

櫻井よしこ著「異形の大国 中国」読んで。

巨大中華帝国の野望を目論む中国は、海洋及び宇宙軍事大国へと急速に軍事力を拡大し制海及び制空権を握ろうと共産党一党独裁政権下で軍事費を拡大し続けている。2008年に出版された本書は、現状を再認識させる事件が今現在も起きている。東シナ海における領海を巡るベトナムとの緊張、尖閣諸島沖の海底油田開発を巡る日本との緊張と枚挙にことかかない。日本人の歴史と文化を守り、戦略的防衛を基軸に外交政治また国内では憲法九条の改正へと著者は進言する。

水曜日, 6月 15, 2011

薮中三十二著「国家の命運」を読んで。

著者の記憶は、小泉首相が北朝鮮訪問の際の外務省での交渉役のため、成田空港から出発する姿をテレビのニュース番組で拝見したことによる。外交交渉の裏側の担当者の苦悩がわかり面白く読んだ。地政学的にも日本を取り巻く北はロシアそして日本海での韓国、南シナ海での中国と領海を巡る交渉も興味深い。問題山積の中でも少子高齢化は深刻で、この現状を打破する提言として、外国人の大幅な受け入れを説く。

日曜日, 6月 05, 2011

渡部昇一著「知的余生の方法」を読んで。

幅広いジャンルから、知的余生を送る或いは死を迎える準備をする方法を提案していて面白く読んだ。60歳を過ぎると仏教を始めとする宗教関係に興味を持つ、これは自然な成り行きらしいい。著者も言うように「この先の人生、そしてまたその先にある死を、見据えて生きていかざるを得ないのがシニアの世代だ。」。シニア世代の友達つきあいについて、面白い記述があった。3つの条件があるという1つは思想及び信条が違うと駄目だ。2つめは、やはり経済的に同じレベルに無ければ駄目だ。3つめは、知的レベルがあまりのも違うと駄目だ。シニア世代の友達付き合いはやはり難しいと自分でも思う。

月曜日, 5月 23, 2011

藻谷浩介著「デフレの正体」を読んで。

著者の講演記録を1冊に纏めた新書版だ。デフレスパイラルからの脱却を何度TVで経済の専門家が景気浮揚に伴う税収の増加による解決を唱えたのを聞いたことか。著者によるとその根源は、生産年齢の減少と急激にすすむ団塊世代の高齢化にあると。また高付加価値を生む産業は、ロボットが作り出す自動車産業ではなくて、サービス産業であると中でも観光客誘致は費用対効果の面からも高付加価値を生む社会に大きく還元効果が期待できると説く。女性の現在45%の就業率を上げ、観光客を誘致し後期高齢者の富裕層からは生前贈与など税制で若者への資金譲渡の推進、世代間の相互福祉などアイデアが様々だがかなり実現可能なビジョンではないかと思うが。

水曜日, 5月 18, 2011

中嶋茂夫著「iPhone+ipad×Googleでビジネスを加速する方法」を読んで。

2月下旬から3月上旬にマレーシアはコタキナバルへ旅行に行ったが、羽田でモバイルルーターを借りた。勿論iPad+iPhoneを持っていく為だ。現地では快適にiPad+iPhoneが使用できた。レストランの検索から、地図での場所・距離の確認等に重宝した次第だ。本書は、パソコンからiPhone+iPadをGoogleと如何に連携しビジネスに応用するかを書いているが、初心者には難しい内容かも知れない。クラウドの雄Googleの提供するAPPSを使えば通常ビジネスに困ることは無い。しかし、出張時にノートPCそしてDocomo携帯、iPhone+iPadそしてモバイルルーターと持ち歩くのは、正直難儀だ。

火曜日, 5月 17, 2011

J・C・コリンズ著「ビジョナリーカンパニー②飛躍の法則」を読んで。

前回に引き続き2作目を読破、2001年に紹介されたこの書は少しも陳腐化されてなく企業の飛躍の核心を見事に抉り出していると思われる。平凡な企業、あるいは倒産の危機的状況、敵対的買収の脅威から飛躍を遂げた企業の原動力とは何か?選別した実際に飛躍した企業とならなかった比較対象企業との差は何なのか?そこにあったのは単純なもっとも基本的なものを情熱を持って数年あるいは数十年の小さな努力の結果であったという単純な理由であった。しかし重要なのは、三つの円が交差する部分を外さない曲げない執拗な努力であると、1つの円は情熱を持って取り組めるかの円、2つめは経済的原動力になるかの円、3つめは自社が世界一になれる部分かの円この円が交差する事業部門を徹底的に議論しその範囲から逸脱しまい経営戦略を長期に渡り継続する努力が、偉大な飛躍となって結果を齎すという。

火曜日, 5月 10, 2011

ジェームス・C・コリンズ/ジェリー・I・ポラス著「ビジョナリーカンパニー」を読んで。

まず、この書でいうところの「ジジョナリーカンパニー」の定義はというと、ビジョンを持っている企業、未来志向の企業、先見的企業だと。この書で過去から現在に至るビジョナリーカンパニーを取り上げ、その企業の分野での対抗する企業との比較を試みている。IBM、SONY、HP、P&Gなどの所謂優良企業をビジョナリーカンパニーとし分析を試みている。共通しているのは、確固たる基本理念(基本的価値観+目的)を掲げているということだ。カリスマ的創業者でなく、血と汗によって実証され数十年あるいは百年たってもなお生き続ける会社という組織の理念と定義する。基本理念同様もう一つ重要な概念がBHAG(ビーハグ)と呼ぶ、単なる目標でなく大胆な社運を賭けた目標が設定されているかどうかだと。
いずれにしても、人間はあるいは従業員は業務上の自主性を要求しながら、同時に自分たちの関係している組織が、何かの目的を持って前進するよう求めていると著者は結んでいる。

日曜日, 5月 08, 2011

ドストエフスキー著「カラマーゾフの兄弟」下巻を読んで。

2月下旬以来、「急性白内障」ということで本が全く読めなくなってしまいました。白内障とは、良く言ったもので、全て目に映る映像が白く靄の中に霞んでみえる。パソコンの画面を拡大文字にして読むのが精一杯だ。まして本など全く読む意欲が無くなってしまう。そんな訳で、途中で表題の小説についても放棄し、4月下旬手術後本日読破した次第。ドミートリーは、父親殺しの罪で敗訴、弟イワンは病気で床に伏した。アレクセイは、少年の葬儀に出席し帰途、仲間の少年たちに語った言葉は作者の未来への希望と思想の根底にあるものではないかと思う。

月曜日, 3月 07, 2011

コタキナバルへ

マレーシア領ボルネオ島の北西に位置するサバ州の州都であるコタキナバル(KK)は、タクシーの運ちゃんに聴いたところ人口は、20万人だという。3年前に訪問した時と違い空港は拡張され随分ときれいになっていた。相変わらず4000mを超えるキナバル山はその雄姿を見せていた。今回もステラハーバーホテル(マジェランステラ)に宿泊、何故ここかというとホテル併設のゴルフ場が予約を取りやすく、料金も宿泊者は安い。日本円でキャディー・カート込みで9千円ほど。ゴルフの他に観光といえば、サピ島へ船で30分くらいの浜辺でBBQで昼食、ホテルからタクシーで街中まで15分足らず、12RM(リンギット)で約350円ほどだ。4回目となった今回は、和食ということでハイアットの1Fの和食の店で、熱燗を飲む。まあまあといったところ。他には、ブラスモンキーカフェアンドバーで、ステーキにロブスターを。このロブスターが絶品だ。4人で15000円ほど。日本から見れば、相当安い。羽田からの深夜便ビジネスクラスで、翌朝現地へ朝6時到着、近くて便利でリゾート気分を満喫できる私のお気に入りの場所だ。

水曜日, 2月 09, 2011

ドストエフスキー 著「カラマーゾフの兄弟」中巻を読んで。

第二部の後半から第三部の始めにかけてが中巻だ。ゾシマ長老が、遂に旅だった。皆が期待した奇跡は、起こらないばかりか長老の遺体は腐臭を放ち、人々を限りなく落胆させるに至った。そして、ミーシャは、恋慕するグルーシェニカを巡り対立する親父ヒョードルを手に掛けた。ミーシャの殺人に至る心理描写は、「罪と罰」でも展開された迫力あるのだ。この巻で、兄弟3人の性格がほぼ判ることになる。無神論主義者のイワン、神を至上とするアリョーシャそして、自己の欲のために殺人まで犯すミーシャと三人三様の結末は如何に?

水曜日, 1月 19, 2011

奥泉光著「シューマンの指」を読んで。

元来ジャズ派の私にとって、クラシックしかもシューマンというのは新鮮でこれがミステリーとして、どのように係わってくるのか期待を込めて読み進めた。シューマンに傾倒する永峰修人なる天才ピアニストを巡る回想形式で進む。ある日の夜ふとしたことから学校の音楽室に立ち寄り修人のピアノを聴く、そして殺人事件に出会す岡沢美枝子なる女子高校生の遺体がプールに浮かんだ。殺人を巡るプロットが可成り遠回りな感があり、最後になって急速な展開に発展する。つまり「どんでん返し」だ。中間章での盛り上がりが欲しいところだ。しかし私には著者の文体は好きだ。

水曜日, 1月 12, 2011

ドストエフスキー著「カラマーゾフの兄弟」上巻を読んで.

文庫本で1500ページを超える大作である。上巻は、ロシアの片田舎に住むヒョードルと3人の息子の紹介だ。主人公アリョーシャは、この地の修道院のゾシマ長老を尊敬する。見習い僧である。やはり、テーマは「神」についてだと思う。二男イワンは、現実主義者で無神論者である。後半部分でモスクワに帰るというイワンが作った叙事詩について弟とアリョーシャと語る部分は、キリストの絶対神として人類を救うことができるか?という永遠のテーマに思う。

火曜日, 1月 11, 2011

デイヴィッド・ベニオフ著「卵をめぐる祖父の戦争」を読んで。

1940年代第二次大戦中のヒトラー率いるドイツ軍のソ連侵攻、レニングラード(サンクトペルブルク)包囲線の中で、レフとコーリャの二人が織り成す「卵」探しの珍道中だ。戦火の中卵を探して進む二人の見た戦争とは、人として人間を否定し尽くし、残酷で無残な殺戮と飢餓と滑稽さしか持たないものだった。物語のプロットは、ミステリーとは言えない。戦争とはこういう悲惨さを思い知らせ、この状況中でも生き続ける人間の生を対局して描いた文学作品だと思う。戦争、友情、恋情と全てがセットされている。

木曜日, 1月 06, 2011

加藤廣著「信長の棺」下巻を読んで。

いよいよ、この巻で稀代の英傑織田信長の遺骸が発見されるかとページを繰りつつ。本能寺に近い阿弥陀寺から本能寺まで秘密のトンネルがあったという。信長、蘭丸他2名が光秀襲撃の後このトンネルに逃げ込んだが、秀吉の策略でトンネル内に壁が作られ、図らずも信長は阿弥陀寺に到達できないまま壁の前で命を失った。その遺骸を清玉上人が阿弥陀寺に引取、後日明智左馬助と相談し無縁墓地に幾多の死人の下深く埋葬し秀吉の執拗な遺骸の探索を振り切ったというくだりだ。

月曜日, 1月 03, 2011

加藤廣著「信長の棺」上巻を読んで。

2011年最初の一冊は、表題の作品である。今年の正月は、穏やかな天候にも恵まれ静かな正月である。さて著者の作品は始めてである。最近歴史ミステリーが、面白い。昨年読んだ写楽のミステリーは最高だ。今回本能寺の変にて明智光秀に奇襲を受け殺害された信長について、家臣である大田牛一なる主人公が、日々信長に使え度々記した日記を元に「信長記」書くにあたり、調査する中で信長の遺骸が見つかっていない謎に迫るという設定だ。光秀が乱を決起する前、公家の近衛前久(さきひさ)と茶屋四郎次郎邸にて頻繁に会っていて、前久が光秀に決起を促したとするくだりや桶狭間での今川軍を討伐した際の木下藤吉郎(後の秀吉)の働きについて、すでに家康との合意の下に行われたという説など面白い記述があり歴史の裏側に思いを馳せることができる。信長亡き後、九州征伐に西軍していた秀吉が、急遽駆けつけ光秀を討つくだりは、やはり事前に家康との裏取引があったという面白い説だ。時代は秀吉一色に染まってゆく。

水曜日, 12月 29, 2010

伊坂幸太郎著「グラスホッパー」を読んで。

読後の感想から言えば、「実に面白い」と思う。著者の書は、これが初めてである。村上春樹に通ずる底流で蠢く人間の性(さが)が不条理性を伴い流れている。鯨と称する自殺屋という殺し屋が愛読するのはドストエフスキーの「罪と罰」であることもおもしろい。鯨が言う「人は誰でも死にたがる。」と。主人公の鈴木は、殺し屋とやくざの集団に囲まれ翻弄される。殺人ゲームの真っただ中に突き落とされ、右往左往しながら生きながらえる。最終頁まで読ませる力をこのミステリーは持っている。

永井義男著「江戸の下半身事情」を読んで。

数々の江戸の庶民や武士の生活事情を読んできたが、今回は下半身事情だ。性風俗に対する江戸庶民は、あっけらかんとして野放図であったという。葬式の帰り塩で清めその足で女郎買いに出かけるといった話が載っている。
公共の売春宿である吉原を筆頭に岡場所などまた主要街道沿いには必ずあったと言われる。東海道品川宿を始め甲州街道内藤新宿、日光街道千住板橋宿といった場所である。岡場所や飯盛茶屋さらに夜鷹と江戸庶民の性の捌け口は現代にも勝るものがある。時代を超えて、人間の本性は変わらないと思う。

土曜日, 12月 25, 2010

梓崎優著「叫びと祈り」を読んで。

2010年週刊文春ミステリーベストテンの内弟2位とあり、手に取った。勿論著者の本はこれが始めてである。5つの短編の構成なのだが、その一つひとつがつまり構成する短編の舞台がバラエティーに富んでいる。アフリカはサハラ砂漠を舞台の殺人、オランダ、ロシア、ブラジルのジャングルといったステージは、これまでの日本のミステリー作家にない未知の可能性を秘めた作家であると思う。

貴志祐介著「悪の教典」下巻を読んで。

いよいよ蓮見教諭の過去の全貌が明らかにされる。そして文化祭を控え一泊で準備のため校内に宿泊するその日、サイコ教諭蓮見の連続殺人事件の幕が切って落とされる四十数人つまり参加している生徒全員を皆殺しにするといった殺人計画が、次々と実行される。散弾銃を手にした蓮見の容赦ない殺人が、至近距離から頭をぶち抜かれて次々に倒れてゆく生徒の悲惨な姿が、地で埋められてゆく校内の様子が克明に描写される。何故か海外ミステリーを読んでいるような容赦ない無差別な殺人は、日本のこれまで読んだミステリーには無い特異なプロットには、正直驚かされた。