土門拳のリアリズム的写真に対して、現実の中で流れるように切り取る木村の写真の対峙は以前から非常に興味があった。日本の写真芸術の基礎となった二人の作風は、やはり生まれた環境・生い立ちそしてその後の環境から決定されていると思う。木村はパリの街頭でライカを持つ姿が似合っていて、土門は古寺の石段で三脚に乗せた4×5判カメラが似合う。戦前、戦中と激動の世界に身を置いた二人は、やはり戦争に対する写真そして自己を処す術を誤った経緯が後まで尾を引いていたと思う。ヒロシマ、筑豊の子供たちそして古寺巡礼は、土門の苦悩そして仏・神へと向かう心の変遷を示しているようだ。
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