月曜日, 7月 31, 2006

江戸へようこそ を読んで。

1986年の作と言うから、丁度20年前のである。杉浦日向子を知ったのは、NHKの午後7時半から放映していたお笑い時代劇の最後に劇の時代考証を語る場面にいつも着物を着て、登場するその人であった。語り口は、軽快であった。著者の言う。江戸とは徳川260年の歴史そのものだが、そうではなく「江戸とは、日本人の精神的なニュートラルポイントだ」という。そして江戸文化を一言でいうと、「粋」だと。粋という概念が、江戸にどのようにして生まれたのか。

木曜日, 7月 27, 2006

この国のけじめ を読んで

「国家の品格」に続き、藤原正彦の2冊目である。ここ3年ほどの日本の政治、改革への強い不信感と懸念を表明しているのは、前著と同様だがこの書では著者の日常を含めたエッセイが記されている。類い希な風土に生ける極東アジアの小国日本の誇りと武士道精神を中核とした日本の復興を説く。「昔気質の人にいい癖のあるじーさん」という印象だ。

水曜日, 7月 26, 2006

二つ枕 を読んで

杉浦日奈子の「二つ枕」は、実は通常本だと思ってアマゾンで購入したが、実は漫画本であった。二つ枕とは、廓のおいらんと客との枕のことであった。さりげない、会話は奇麗な漫画の絵とともに本当に当時の会話はこんな風であったろうなと思いを巡らすことができる。映画やTVドラマでの暗い風景を見ているのと、少し違って日常的な風景がそこにはあった。

木曜日, 7月 20, 2006

世界で一番気になる地図帳 を読んで。

地球儀や世界地図を手元に置いて、読みたいと思う。国の名前、国旗、地域、山、河川、都市とその由来やエピソードが、盛り込まれ読んでいて飽きない。日本は、地球の全陸地面積約1億5千万平方キロの0.25%37万8千平方キロで人口規模2%の1億3千万人だと言う。極東アジアの本当に小さな国という印象だ。この小さな国を世界の人々はどう思っているのであろうか。

火曜日, 7月 18, 2006

夜と女と毛沢東 を読んで

辺見庸と吉本隆明の対談集である。「毛沢東と夜と女」では無いことに注意。前記3つのテーマについて、語り会うが、最後の身体と言語の稿が一番面白かった。対談の印象としては、巨人を相手に小人が立ち向かう様だ。ジャーナリストの経験がある辺見の見識と吉本の思考のみでの知識との対決とでも言うか。日本の消費資本主義の末期的状況を語るが、私個人としては食料自給を含め、資本主義は生き延びると思う。世界全体というか地球規模の問題に対しての、世界的良識がこの地球市民は持っていると思っている。

日曜日, 7月 16, 2006

眼の探索 を読んで

辺見庸の世界に初めて触れた。知識人ジャーナリストとしての良識を持つことを認識した。日本人の言語に対する希薄性、米国従属型の国家権力がオブラートに包みながら大衆を無知へと導く「新ガイドライン」から現在北朝鮮の脅威を喧伝し攻撃型抑止力を持つことを公然と唱える政治家及び官僚、W杯ワールドカップ、ライブドア、村上ファンド、日銀総裁等々の中でこの国は戦後60年を経た今、再び東アジアとの対話外交の無いまま軍備を拡張しようとしている。「周辺事態」という曖昧模糊とした造語を操り、確実にファシズムへと進んでいく様だと著者は警告し日常的世界に生きる一人の人間として何をなすべきか?を自らに問うジレンマに生きているように思える。

土曜日, 7月 15, 2006

私の大和路春夏紀行

土門拳の写真を見た後で、入江泰吉の写真を見ると、そこには風景写真家としの穏やかな大和路が広がる。土門のような気魄が無い。奈良を住居とした入江と東京から通う土門との距離感がでているのかも知れない。F64という一杯まで絞り込んでピントを合わせる土門の撮影技法との違いであろう。寺や仏像に対峙する姿勢というか思想がそもそも違うようだ。

カール・マルクス を読んで。

吉本隆明の40年も前の著作でる。1965年頃、「資本論」を手にしたが、挫折した覚えがある。当時経済学書或いは学生運動の根本的思想と考えていた。その後、マルクスについて今日まで、全く接しないままだ。今回著者の親鸞を読んで、関連本として手に取ったが今までの印象と全く違ったものであった。マルクス生涯の思想の流れの中で「資本論」を把握している。宗教、法、国家、自然、歴史といったマルクスの思想の到達点として「資本論」があることを認識させられた一冊である。

金曜日, 7月 14, 2006

読むだけで10打縮まるゴルフ思考術 を読んで。

読み終えて、10打なんてとっても縮まりそうにない。というのが印象だ。著者の最もスコアーを縮める核心は「プロあるいはPGA公認のインストラクター」に金を払えだそうだ。ゴルフの楽しさも夏坂健から比べると比較にならない。

99.9%は仮説 を読んで。

冒頭、「飛行機はなぜ飛ぶのか?原理が今のこの時代でも解明されてない」には驚いた。勿論種々実験により飛ぶことはわかっているが、科学的原理とは別物だという。人は、様々なその人なりの仮説或いは世間でいわれる仮説の上に世界観を形成し日々生きている。仮説というか前提条件が違えば、ものの見方が根本的に変わってしまう。科学の世界でも、白から黒あるいはグレーという仮説があるそうだ。物体のエネルギーに関してもニュートンは、運動して初めてエネルギーが加わるという力学の仮説に対して、アインシュタインは、動かなくても物体そのものがエネルギーを持っているという仮説を発表し、その先はヒロシマ、ナガサキの原子爆弾に繋がったという。人は、思いこみ自分で構築した仮説の範囲で考え行動する。しかしこの仮説に疑問を呈し頭を柔軟にして違った仮説を考えることは、即人の気持ちをわかるという「やさしさ」に繋がるのではないか。

火曜日, 7月 11, 2006

今に生きる親鸞 を読んで。

親鸞の思想を現代社会の問題(例として老人高齢化問題)に即して、考える稿がある。しかし、結局最後は一人一人の老人の問題であると。施設を沢山つくり、或いは老人の働く場所を作る。これでこの問題が解決できるだろうか。最後は、「死」という問題になる。自然法爾(じねんほうに)、阿弥陀様が自然と手引きされるまで待って、時間の余裕があれば称名念仏を1回でも唱え浄土に行く。そんな親鸞のいう「無」になれるのであろうか。

月曜日, 7月 10, 2006

日本という国 を読んで。

明治から昭和そして今、現代へと日本の歩みが小冊子ながら的を得たすばらしい本である。著者の歴史認識は近隣アジアの人々にとって普遍であり、今の首相の小泉さんに是非読んでもらいたい。ブッシュの前で、プレスリーの歌を歌う日本人が、如何に恥ずべき行為かを知る、誰にでも読める歴史教科書として感銘をした。

日曜日, 7月 02, 2006

親鸞の告白 を読んで。

6世紀半ばに伝来した仏教が、鎌倉を経て平安で花が咲く。二人の天才宗教家である最澄と空海により日本の仏教として
確立してゆく。戒律を改革した最澄と、即身成仏を説く空海そして法然、親鸞へと。
今まで、政治やイデオロギーと深く関わって発展した来た仏教を解放し、思想として初めて仏教を普遍的なものに変えた。
「悪人正機説」で有名な「歎異抄」は親鸞の弟子唯円の書いたものだという。思想の深部は難解である。「善人なおもて往生
をとぐ、いわんや悪人おや(善人が極楽往生できるのなら、悪人ができないはずが無い)」というパラドクス的表現は、簡単
そうで深い。仏教の核心は、「慈悲」と「平等」であるという。