木曜日, 12月 31, 2009

2009年 年間一人の読者大賞

今年も乱読に終始したが、やはりミステリーが中心であった。そして年末に至りスウェーデンの今は亡き作家スティーグ・ラーソンに出会った。「ミレニアム」シリーズ3部作およそ3000ページに及ぶ大作である。スケールの大きさ、ミステリーとしての面白さとすべてに渡り★★★★★である。私個人の一人の2009年読者大賞は、「ミレニアム」シリーズ3部作に決定いたします。

スティーグ・ラーソン著「ミレニアム3」を読んで。

あっという間に、「ミレニアム3」を読破した。素晴らしく面白い。J・ディーヴァー「ソウルコレクター」を凌駕している。ミレニアム2の後半を引き継ぐ形でミレニアム3が展開を始める。リスベットは、病院に収容されリハビリを続ける。一方ミカエル・ブルムクヴィストが呼ぶところのザラチェンコ・クラブを組織するスウェーデン警視庁公安部の影の「班」と呼ばれる者たちが、ザラチェンコなるスパイを非合法的に数年にわたり保護してきた事実をもみ消そうと、躍起になってあらゆる手段を持って抵抗を始める。後半はいよいよリスベット・サランデルの裁判へと国を揺るがすいわゆる国家の闇を暴く裁判へと進む。ミカエルの妹アニカ弁護士と法廷での戦いそして「班」との抗争が平行して物語は緊迫した中で進み読者を離さない。そして、サランデルは無実を勝ち取った。著者の女性に対する性的暴力を含めあらゆる暴力に対する徹底した抵抗テーマにかくもこれほどのサスペンスとミステリーに発展させる力に感服、そして今年最後にこの本に出合えたことを幸福と思う。

スティーグ・ラーソン著「ミレニアム2」を読んで。

スティーグ・ラーソン著「ミレニアム2」を読んで。
たて続けに、ラーソン著「ミレニアム」シリーズを読んだ。2作目は、リスベット・サランデルの過去が暴かれる。サブタイトルは、「火と戯れる女」だ。彼女の強烈な個性は、一度前編第一作を読んだ読者は、忘れられない印象と供に書店に走らざるを得ない状況に置かれる。それほど面白い。ミレニアムⅠが、ドロドロした血縁の中に起こる正に横溝正史的サスペンス&ミステリーに対し、Ⅱでは俟たしてもリスベットの周辺で起こる殺人事件が起こる。再び、ミカエル・ブルムクビストとの再会となる。彼女の強烈な個性を中心として、様々な登場人物そして読者をグイグイと引き込んでゆくミステリー&サスペンスは、多様な伏線を用意し、最終ページまで一挙にページを捲ることを強要させられる。ラーソンは、本著で全世界の女性に対しての「女性解放宣言」ではなかろうかと思われる。このミレニアムは、決して悪そして不遇に屈しない堂々とした女性を計り知れない愛情を持って描いていると思う。

日曜日, 12月 20, 2009

スティーグ・ラーソン著「ミレニアムⅠ」を読んで。

著者は、北欧はスウェーデンの記者を経て作家活動に入ったという。3部作の長編推理小説のうちの第一巻が表題のミレニアムⅠである。残念なことに、この3部作執筆終了時点で事故で他界したという。ストックホルムから北にあるヘーデスタ及びヘーデビー島中心に物語りは始まる。雑誌ミレニアムの共同経営者であるミカエル・ヴィルムクビストはとある国際的シンジケートを操るヴェンネルストレムなる人物に関する記事により名誉毀損で有罪判決を受ける。現状の仕事に対する意欲を失墜し休暇の為自分の別荘へと、そこへヘンリク・ヴァンゲルなる人物より自分史の執筆の依頼が来る。この大物老実業家ヴァンゲルとヘーデスタでの依頼人との契約の中孫のハリエットの失踪を知る。著述は表向きで実際はその失踪事件の解明を希望される。やむなく契約しミカエルの1人での失踪事件の捜査が開始される。物語は、ドラゴンタトゥをしたリスベット・サランデルなる女性の描写と平行して進む。そして二人はやがて一緒に失踪事件に取り組むことになる。彼女は得意な記憶能力とパソコンを自由に操るいわゆるハッカーとしてスウェーデンでも屈指の達人として知られている。30年前のこの事件の捜査を巡り二人の取り組みが始まる。ミカエルの身に様々な災厄が降りかかり30年前の事件が今でも生きていることを証明される。ヴァンゲル家の様々な人々の描写、ミレニアム共同経営者エリカ・ベルジュとの関係と描写、サランデルの過去と事件の伏線の描写は読者を飽きさせることなく進んでゆく。そして事件はヴァンゲル家の内部で発生した事を知ったミカエルは、敵の住む家へと。北欧の地を舞台にカリブまでスケールの大きさを感じさせるJ・ディーヴァーを凌駕するほどのミステリーだと思う。

日曜日, 12月 06, 2009

ジェフリー・ディーヴァー著「ソウルコレクター」を読んで。

550ページにもなる長編である。リンカーン・ライムとアメリア・サックスのコンビが、犯人を追跡するシリーズだ。物語は、ある巨大なデータマイニングセンターを中心に展開する。犯人の正体は「全てを知る男」だ。住所、氏名、家系、数ヶ月間のクレジット情報から趣味、行動パターンさらにGPSによる追跡調査まで、そして様々な物を収集するコレクターだ。リンカーンを中心とする犯罪捜査斑の身内にも犯人の魔の手が伸びる。いとこのアーサーが殺人犯として起訴されることから、不審に思ったリンカーンの捜査が開始される。殺人犯のルーキーといわれるプラスキー巡査、ニューヨーク市警ロン・セリットー警部そしてアメリアと殺人犯は執拗に攻撃を開始する。例のディーヴァー特有のどんでん返しを期待して読み進める。が幕切れはデータマイニングセンターの警備員の犯行と判明する。期待して読んだが、過去のディーヴァーの作品からするとまあまあかなと思わせる出来だ。

月曜日, 11月 23, 2009

エラリー・クイーン著「大富豪殺人事件」を読んで。

今月は、エラリー・クイーンで終わってしまいそうだ。今ジェフリー・ディーヴァの最新作「ソウルコレクター」を併読中である。ニューヨークの有名ホテルの豪華な一室で、中国帰りの富豪が殺される。乗り気でなかったエラリーもやがて事件解決に望む。今までのクイーン作とはひと味違う感じだ。なにかわくわくさせるものが無い。

月曜日, 11月 16, 2009

エラリー・クイーン著「シャム双子の謎」を読んで。

またまた、クイーンのミステリー1930年前半の著作だ。クイーン父子が休暇でニューヨークを離れ山中を愛車デューセンバーグを駆り走行中山火事に遭遇し、山頂へと追われ行き止まりにある一軒の家に助けを求める。この家は著名な医学博士の研究所兼自宅であった。博士が殺される。そしてまた弟の弁護士も殺され、クイーン父子は窮地に立たされる。本題のシャム双子を絡めて謎はますます深まり、犯人の特定が困難にしかし結末は、単純で密室殺人特有のトリックはない。評価の分かれる書である。

日曜日, 11月 08, 2009

エラリー・クイーン著「フランス白粉の謎」を読んで。

今月も、まずクイーンの作からだ。とある百貨店で殺人事件が起こった。クイーン警視と息子のエラリーが捜査にあたる。名声を得てから、2作目だという。ストーリーは、単純だが読者を悩ます様々な物的証拠を提供しつつ読者に挑戦するクイーンの姿勢は、これまでの著作と変わらない。これらのプロットを押さえつつ、創造的推理による連鎖を紐解く著者の類い希なる頭脳にただ感心するばかりである。

日曜日, 10月 25, 2009

エラリー・クイーン著「エジプト十字架の謎」を読んで。

概して、出張が頻繁にあると本が読める。移動体の中での読書となる。ミステリーは、移動中の読み物としては、最適だ。今回もエラリー・クイーンだ。書名は「エジプト十字架の謎」数ページ読み進むうちに早くも木柱に磔刑にされた首なし死体が登場する。ヨーロッパから米国への移民どおしの宿念を背景に次々と磔刑の被害者が出て、さすがのクイーンもお手上げ状態だ。家族と家族そして兄弟間の争いを通して、次々に起こる殺人事件、最後に以外な展開とまさにミステリーの古典に相応しいプロットだ。

土曜日, 10月 24, 2009

堀口敬著「原価管理」を読んで。

製造業の原価管理は、実に困難だ。この書は、どこまで原価管理をやるべきかを示している。製品1個につき、膨大な時間を費やし管理しても無駄だと。原価管理は、コスト管理と営業で実践に使用できるものでなければならないと、自分もそう思う。熔断業の原価管理を考える上で、この書に貴重な情報を得た。@PartsLinkシステムに原価管理オプションを是非加えたい。数十社の経営者と話をさせていただいているが、原価についての認識を持つ経営者は皆無に近いのもまた事実だ。

日曜日, 10月 18, 2009

アガサ・クリスティー「アクロイド殺し」を読んで

著者の数冊目に当たるミステリーだと。1926年作というから戦前のものである。最近古典的ミステリーを読んで思うのだが、少しも古さを感じさせないし寧ろ新鮮なプロット、トリックに驚かされる。今回の「アクロイド」という書名を不思議に思ったのだが、イギリスは片田舎の邸宅の主人の名前であった。語り手の医師ジェイムズによる物語の展開、殺されたアクロイドを取り巻く人物像の描写そして次第に各容疑者の過去が、名探偵ポアロの登場により、明らかにされる。遂に語り手である医師の犯行が。。アガサの中でも傑作といわれるこの著は発行後、トリックの是非について大いに話題となったそうである。

火曜日, 10月 13, 2009

ガストン・ルルー著「黄色い部屋の秘密」を読んで。

著作は、1907年刊行とある。まさに100年、世紀を超えて読み継がれたミステリーの名著に恥じない珠玉の出来だ。事件はパリ郊外の城の一角にある物理学の研究部屋である「黄色い部屋」で、著名な学者の娘が襲われることから始まる。この事件に若き新聞記者が派遣され、事件の謎を解明しようと懸命になって知人の弁護士と取り組む、そしてその件は少々冗長さを伴い読者を疲労させるが、後半は一気に読破せずに居られぬ状況にされる。現代のJ・ディーヴァーおも彷彿とさせるローラコースター的どんでん返しは、見事である。

木曜日, 10月 08, 2009

クレイグ・ライス著「時計は三時に止まる」を読んで。

著者の作品は、今回初めてである。1939年というから古い。ジェイクとディックそしてヘレンの3人が織りなすドタバタと殺人事件が同居するといったミステリーだ。用意周到なプロットは無い。殺人事件は、古い邸宅の一室で起こる。ディックの婚約者ホリーの家の伯母が殺される。そして時計という時計が全て午前三時を指して止まっている。このトリックをどうやって解き明かすかを興味を持って読んだが、結末は今となっては単純で面白みに欠ける筋書きだ。

月曜日, 10月 05, 2009

島田荘司著「斜め屋敷の殺人」を読んで。

北海道のある丘の上に立つ瀟洒なおイタリアピサの斜塔を思わせる館、この館はすべてが斜めになっている。この斜め屋敷で、年末のパーティに招待された客が次々に殺される。この密室の怪事件を解決するべき1人の占い師とも呼ばれる人物が派遣される。最後まで、この密室の謎が解けない。綾辻行人のまさに館シリーズ殺人事件とも相通ずるものがあるが、この斜め屋敷が、殺人の意図を持って周到に計画された点が違う。日本人作家としての館を題材にしたミステリーとしては、島田がより面白い。

中村八洋著「地政学の論理 拡大するハートランドと日本の戦略」を読んで。

懐かしいというか、1970年代後半倉前盛道の「悪の論理」を読んで以来30数年ぶりになる。読み始めて著者の巻末のプロフィールを確認するほど、右翼的過激な文章に辟易する。著者の根底にある論理は、マッキンダー及びスパイクマンの地政学のものだ。ロシアをハートランドとし、周辺の国家をリムランドと呼称しハートランドに対して如何に防衛するかを説く。50年も前の地政学の理論を持って、現状世界の戦力構造を分析し、政権交代に酔う日本に痛烈な批判と警告を発する。何故か現状と遊離している感は否めない。

アガサ・クリスティー「そして誰もいなくなった」を読んで。

1930年代、つまり戦前のミステリーになる。過去裁かれることのなかった犯罪を殺人を犯した10人が、絶海孤島に集められる。その邸宅に集められた10人の犯罪が、LPプレイヤーから流される。そして殺人劇が幕を開け、次々と殺される。10人の心の葛藤や互いのプロフィールが、徐々に明かされ、そしてまさに、誰もいなくなった。古典的ミステリーとして出色の出来だ。読者を一気に最終章に引き込む魅力を備え、古典としてこれからも引き付けてやまないだろう。

水曜日, 9月 23, 2009

綾辻行人著「人形感の殺人」を読んで。

これまで、数冊著者の「館」シリーズを読んだが、何故か最後章の結末については、些か拍子抜けとしか言いようが無い。館に至る状況説明は、細部に渡りいよいよ殺人事件が発生する。飛竜想一なる主人公の回りに発生する幾多の不可解な事象が、主人公の28年前の過去との連鎖から、或は例の中村青二なる建築家による館の絡繰りを連想させ読者はこの人形館を舞台にどんな謎解きが在るかと期待するが、突然主人公の精神異常で片付けられてしまう。なんとも後味が悪いとしかいいようが無い。

金曜日, 9月 18, 2009

太宰治著「人間失格」を読んで。

この書の中にあるのは、極細の神経を持った少年時代の姿それは一部自分自身を投影してるかのように、惨めで悲しい極限までの自己否定だ。酒に溺れ、女に酒池肉林の中に安住しようとするどこまでも世の中の片隅から隙間見る少年の時代そのまま成長する葉蔵の姿だった。「人間失格」発刊の直前に命を絶った太宰の生きた三十数年間は、戦前戦中そして戦後の混乱の中に在った。雪の降る夜酒に酔って喀血する葉蔵は、雪の中に日の丸を描いたと思う。この鮮烈なシーンが読んだ後でも脳裏から離れない。人間の生とは、斯くも悲しく寂しい事なのかと。

土曜日, 9月 12, 2009

F・W・クロフツ著「樽」を読んで

前著に続き推理小説の古典的名著と言われるクロフツの「樽」1920年代の作品である。江戸川乱歩をして「リアリズムの推理小説の最高峰」と言わしめたこの作品は、明智小五郎やホームズといった名探偵が推理し事件を解決してゆくといった物ではない。普通の刑事が読者とともに足で捜査してゆくといった面白さは読者への挑戦とも取れる当時としては画期的な構成であったことが、容易に理解できる。古典としての地位を不動のものにする確固たるものがある。前著「月長石」と違って、本格的ミステリだ。

水曜日, 9月 09, 2009

ウイルキー・コリンズ著「月長石」を読んで

エラリー・クイーンに、推理小説の古典的名著と言わしめたコリンズの「月長石」(ムーンストーン)は文庫本で800ページにも及ぶ大作である。
この物語は1800年代中期、ロンドンから当時馬車で2時間余場所はヨークシャこの地で裕福なヴェリンダー家の晩餐会に招かれた招待客が物語の主人公である。晩餐会が終わり各招待客が床に就いた深夜、ムーンストーンが盗難に遭う。物語はヴェリンダー家の住人から始まり招待客各自のその後、ヴェリンダー家のレイチェル嬢の恋愛を織り交ぜ様々な伏線を用意した、現代でも通ずる内容となっている。推理小説というよりは、純文学の域でも立派に通用すると思う。

土曜日, 8月 22, 2009

綾辻行人著「迷路館の殺人」を読んで。

綾辻の「館」シリーズも4,5作目になるが、期待を裏切らない面白さがある。宮垣葉太郎なる作家の還暦の祝いに招待された館は例の中村青二設計によって建てられた迷路館なる屋敷である。招待された7人の中にミステリー作家が4人、そこで宮垣の遺言による4人の作家による遺産争奪推理小説コンテストが、行われることになった。しかし、その4人は次々と自分の書く小説のとおり殺されてゆく。この作は、小説の中に小説が
あるような設定になっていて、最後の最後まで犯人が特定できない面白さがある。

日曜日, 8月 16, 2009

エラリー・クイーン著「オランダ靴の謎」を読んで。

この著作は1931年の発刊であると、昭和7年の戦前のものである。この推理小説は、オランダ病院という院内での殺人事件をエラリーが謎をといて行く探偵小説である。既にこの時代に活躍していた日本人端艇小説家として横溝正史や江戸川乱歩らがあったと記憶する。初めて翻訳されたこの「オランダ靴の謎」は前者の日本人探偵小説家にとって衝撃的であったと解説してある。
読んでみて、ほとんど現代にも通ずるし古さを感じさせないトリックである。中篇には犯人探しを読者に挑戦する章もあったりして興味をそそられる。

火曜日, 7月 28, 2009

エラリー・クイーン著「Yの悲劇」を読んで。

Xの悲劇に続き、今回の「Yの悲劇」は、素晴らしく面白い。例によって、主人公である老俳優兼探偵
ドルリー・レーン氏によって事件の解決に望む。
舞台は、富豪のキャンピオン家に起きた主人ヨーク氏の殺人に端を発しエミリー老婦人が殺害される。
富豪一家の登場人物も種々多彩な人々である。ある種密室殺人だが、読み進むにつれて犯人を連想するのだが
全て見当違いとなった。殺人事件の起きた通称「死の部屋」に居た、盲目で聾唖者のルイザの触覚と嗅覚のみ
が今回の事件の謎解きの唯一の手掛かりである。
結末は思わぬ結果となるが、探偵レーン氏の謎解きは否この推理小説のプロットは可成り練られた印象である。この作品が1933年の物だという。今から70数年前に既にこんなにも面白い推理小説を書いた著者たちに感謝したい。

土曜日, 7月 18, 2009

カズオ・イシグロ著「わたしを離さないで」を読んで。

主人公である、キャシーが回想する英国は片田舎の全寮制の学校をイメージして読み始める。同僚や先生とのたわいのない会話や日々の出来事、同僚のルーシー、トム、クリシーやロドニーと。青春恋愛小説を想像して読み進めていくうちにふと出会う言葉が、それは「提供者」「介護人」という。行き成り物語りをSFの世界に引き込む2つの言葉の真相をという具合に頁を繰る。そして物語の世界はクローン人間なる臓器提供者と介護人に分類された人間のものであった。作者の作品は、今回初めてであるがこの物語は周到に綿密に計算された他に類を見ない小説だ。限られた生の中で藻掻く、生きて、恋してが、現代社会に生ける我々の境遇を垣間見る思い出ある。

土曜日, 7月 11, 2009

ウディ・アレン著「ただひたすらのアナーキー」を読んで。

俳優、作家、脚本家、映画監督と多才にして多彩な顔を持つ著者の作品は、シニカルなユーモアに溢れていた。ちょっとした小さな新聞記事から発展させ、彼独特の語り口で物語を作り上げる。そこには人生の悲喜交々とした断片や皮肉とユーモアが、交錯し合い人生の面白さを感じさせる作品である。

日曜日, 7月 05, 2009

綾辻行人著「暗黒館の殺人」を読んで。

まずは、大作である。上下巻併せて1300頁にも及ぶ推理小説は、日本人作家には珍しく思う。中村青二なる建築家が手がけたという「館」シリーズの七作目にあたるというこの「暗黒館の殺人」は、冗長性は否定できないが、何故か読んでしまわないと、と思わせる魅力がある。不死と不老という永遠のテーマを元に人間の欲の根源的な課題に取り組んだ作品だ。日本人作家特有の横溝正史にみるドロドロとした血塗られた過去を暴いてゆくと行った伝統的な手法が、日本の読者に受け入れられるのだろうか?「館」シリーズのこの作品は異色だと思うが。

月曜日, 6月 22, 2009

旅名人編集室/JHC編「アジアのゴルフ場 東南アジア編」を読んで。

東南アジアのゴルフ場を紹介している本だ。思えば、海外でのゴルフ場も意外と同じ場所に行っているなーと。タイは何度も行っているが、殆どプーケットが主でバンコク、パタヤが一度ずつ、バンコク近郊ではグリーンヴァレーとセイアムカントリーでパタヤではバンプラへ一泊し2ラウンド、プーケットではプーケットカントリ、バニヤンツリーを4ラウンドずつと。北都チェンマイでは、グリーンヴァレーとランプーンをそれぞれ1ラウンド。
最近は、マレーシアボルネオ島へ2度、ボルネオカントリーは海に面した思い出に残るゴルフ場で2ラウンド。ステラハーバーホテルの庭のゴルフ場を2ラウンドそして可成りタフなダリットベイ1ラウンドと。
インドネシアバリ島では、バリゴルフクラブとバリハンダラ廣済堂を2ランドずつ。ジャカルタ近郊には行ってない。
次は、ベトナムとフィリピンのゴルフ場を訪ねてみたいと思う。

土曜日, 6月 13, 2009

エラリー・クイーン著「ローマ帽子の謎」を読んで。

著者の作品は、「Xの悲劇」に次いで2作目である。本書は、著者の処女作で1929年の作だと。劇場で起きた殺人事件を契機に、クィーン警視とエラリー父子の捜査が展開する。犯人特定までのロジックというか展開は、処女作だけあって、かなり綿密周到に準備された感はあるが、すこし力が入り過ぎて冗長性は否めない。しかしこの年代の日本の推理小説界を考えると、このエラリーの小説は多いに刺激を与えたと思う。この時代我が愛する江戸川乱歩は何年に読んだのであろうか?そしてどんな衝撃を受けたのであろうか。

土曜日, 6月 06, 2009

綾辻行人著「十角館の殺人」を読んで。

作者のものを読むのは二作目である。「館シリーズ」である。処女作であるという。かなり練られたトリックで読むものを飽きさせない。伏線が多様に展開し読みながらの犯人の特定は難しい。中村清二なる異様な建築家による異様な建物・館の中で、次々と起こる殺人事件、愛するものを殺された犯人の執拗な復讐劇が展開される。奇妙な館、鬼才の建築家及びその兄弟と娘に纏わる秘話と。伏線の多様性を見事に纏めた本格的推理小説だ。

日曜日, 5月 31, 2009

柴山政行著「原価計算の基本と仕組みがよ~くわかる本」を読んで。

著者は、公認会計士でかつ経営コンサルであり、また専門学校の講師をしているという。製造工場に於ける原価とは?一体どうやって把握するのかという問いを基に読んでみたが、原価の仕組みから始め、財務諸表のB/SとP/Lとの関連さらに利益管理の為の原価計算そして戦術的意思決定のための、また長期的戦略的意思決定のための原価計算と幅広くやさしく解説してある「原価計算」「原価管理」の入門書といったところだ。
前述のBSとPLの関係を原価を基に説明している箇所は、思わず「成る程」と思う。

土曜日, 5月 30, 2009

綾辻行人著「黒猫館の殺人」を読んで。

ネットで、面白いお勧めミステリーとして検索した結果、タイトルの著者綾辻氏の館シリーズが眼に留まった。早速シリーズ本を購入し、年代順を問わず取り合えず第1作目に選択したのが「黒猫館の殺人」であった。鹿谷なる小説家が殺人事件を解いて行く物語の主人公である。読み終えて、私好みのJ・ディーヴァーやダン・ブラウンと違いやはり日本のミステリーには、あの読まずには眠れないようなドキドキ感やワクワク感がない。スケールが違う。現在「天使と悪魔」が上映されていると聞く。是非見に行きたいと思う。本題に戻ると特異な館・建物を建築以来した大学教授天羽博士の黒猫館と呼ばれる館での殺人事件の手記によって展開して行く。てっきり北海道の釧路での建物と思って読んでいたのだが、実は南半球のタスマニアに対となった建物がもう一つ存在したという絡繰りには、正直突拍子も無い発想には驚いた。殺人の内容は至って古典的なものであり、これといった物は無かった。

木曜日, 5月 14, 2009

半藤一利著「昭和史 戦前編」を読んで。

日清・日露戦争を経て、昭和に投入するがこの昭和の歴史(1926年から1945年)戦前の歴史は、正に激動そのものであった。講義形式での半藤さんの歴史書はこれで3冊目になるが、500ページを超える著作にも係わらず、歴史を読む面白さを余すとこなく伝えきっていると思う。半藤さんによれば、江戸城開場から明治時代までの40年さらに第二次世界大戦・太平洋戦争終結までの40年と40年おきに歴史の大転換期を迎えるという。昭和戦前史は正に戦争の歴史そして310万もの日本人の生命を賭して戦った無意味な戦争の歴史であった。日本人の官僚・軍官僚の世界観・地政学的ストラテジーの欠如、希望的観測のみで観念的世界を一人作り上げ満足してしまう精神構造をこの40年の歴史に学ぶことこそ重要であるという。それにしても、「幕末史」の中での勝海舟と同様、太平洋戦争時の山本五十六と状況を的確に把握せる人物がいたもんだと思う。

土曜日, 5月 09, 2009

小熊英二・上野陽子著「<癒し>のナショナリズム」を読んで。

1997年に発足した「新しい歴史教科書をつくる会」に始まり、2001年に出版された「公民教科書」及び「歴史教科書」に対する批判そして「つくる会」をフィールド調査を実施した上野のノートに拠り、現代日本のナショナリズムを分析しようとする試みである。「つくる会」のメンバーは、会社員、公務員、自営業、主婦など年代別には、戦後、戦中、若者と平均年齢39歳という比較的若い会の構成員だ。彼らからの会への出席そしてアンケート調査により、彼らが言うところの「普通の市民」の普通を解明し、日本民族というかナショナリズムに潜む普遍性を解明しようとする稀有な方法だ。

火曜日, 5月 05, 2009

半藤一利著「幕末史」を読んで。

前に読んだ「昭和史」同様、講義調で実に判り易く解説された物語風歴史書である。江戸城無血開城となった1863年を機に明治維新として日本の歴史が新たな展開を見るが、この明治維新は日本独特のものでビジョンも未来の国家建設のための思想も哲学もなく、流れて或いは流されていく今日に見る政治的、社会的状況と同一なものと認識されつくづく日本的だと思う。幕末に於いての雄として勝海舟と西郷隆盛両人が歴史に深く関わり度々重要な場面で登場してくるが、この二人が幕末史の両極思想を代表する。戊辰戦争そして西南戦争から、日本の軍事独立と軍国主義国家の基礎ができつつあるとみる著者の歴史への理解に同感するものである。

金曜日, 4月 24, 2009

ミシェル・フーコー著「狂気・理性」を読んで。

最近は、読みかけの本が3冊中でも、このフーコーの著作は難解である。哲学の領域に入るこの本は、じっくりと腰を落ち着け精神を集中して読む必要がある本である。フランス哲学界をサルトルが席巻する後数年後フーコーが現れる。歴史認識と当時実存主義の概念「投企」にサルトルの著作「実存主義はヒューマニズムである。」から、感銘を受けたのを思い出す。サルトルの歴史への関与とフーコーの関与とは、全く違うことがこの本で哲かだ。歴史を個人の人生の中で昇華する言葉としての「投企」とフーコーの言う「狂人」とは、逆方向にある。歴史は、連続する時間の連鎖のレールの上に個人を乗せるという思考と、実存主義が言うところの「人間主体」の作る歴史という概念の相違に戸惑うばかいりである。久しぶりに哲学書に接したが、20世紀初頭とこの現代のグローバル化され、世界的金融機危機マネーが席巻する世界の中の哲学とは無縁の精神世界の物語と感じてしまう。フーコーの言うようにヘーゲルで哲学は終焉し、大学での講義用の学問というか知識でしか無くなったように思う。グローバル化され、ネット市民社会で生ける人間の人間学というか歴史への関与とか、全く異質の現実の中に我々が生きていることを感じ、この世界市民としての「人間」とこの人間が生きる社会と歴史を解明し、統一した世界観というか理論を展開する「狂人」「天才」が出現するのを待たねばならないのだろうか。

土曜日, 4月 04, 2009

野村総研 城田真琴著「クラウドの衝撃」を読んで。

今後10年少なくとも3年の間話題を独占するIT用語が「Cloud」つまり雲を想起させるネットワークインフラとしての「クラウドコンピューティング」であると著者は言う。メインフレーム時代からC/SさらにWebそしてクラウド時代へ変化するコンピュータ業界は、「分散」と「集中」を繰り返しながらパラダイムシフトして来た。クラウド時代は「集中」へと再び向かう、しかも一部のメガプロバイダーとして、Google,Amazon,SalseForce.comという一部の巨大サービスプロバイダーが提供する3つのサービスとは「SaaS」「PaaS」「HaaS」というSoftware as a Service、Platform as a Service、そしてHardware as a Serviceだ。つまりソフトウェアからそれを動作させるプラットフォーム、OS,
Middle Wareさらにハードウェアまでもクラウドコンピューティングを利用して実現できるとうものだ。では一体クラウド時代が到来した折に、我々システムインテグレータはどのようにシフトしていくべきか?著者は、また私も読んで感ずるところは、「何をどこまで、クラウド・コンピューティング・サービスに頼るのがベストか?」つまり、TCOの削減を念頭にミッションクリティカルな、ユーザーにとって基幹となるシステムは、独自に構築し、ユーザ社内にサーバーを配置し依然として保守を含む多くの部分をシステムインテグレータが関与する必要があるという。また非ミッションクリティカルでないコアーでない部分は、クラウドを利用する、ストレージ、メール、表計算、ワープロ、CRM、スケジュール、電子会議等々だ。この棲み分けを提案するようにすべきだと考える。それにしても米国企業グーグルを筆頭に巨大なデータセンターを全世界、地球規模で展開設備を拡大していくのを考えると、米国の国家戦略ストラテジーだと感じてしまうのは私だけであろうか。

金曜日, 4月 03, 2009

C・J・ボックス著「ブルー・ヘブン」を読んで。

著者の作品は始めてである。550ページにも及ぶ長編ミステリーだが、読者を飽きさせない背景と主人公とその周辺人物の多様な描写と展開が、多分最後のページを繰るまでにさせるのだろう。物語はアイダホ州の田舎町で起きた、アニーとウィリアムの幼い姉弟が釣りに出掛け殺人現場を目撃してしまうところから始まる。殺人を犯した犯人は元ロサンジェルス市警の警官4人であった。シンガー、ゴンザレス、スワン、そしてニューカークが、もう一人の仲間を銃殺したのだ。彼らは、13年前に競馬場で現金強奪事件を起こした犯人仲間の市警察官であった。強奪した現金をアイダホの銀行に少しずつ預金し後で、分け前とする筈であった。銀行家のジム・ハーンは、マネー・ロンダリングとしりながら預金について目を瞑った。そして殺人を目撃した姉弟を匿う事になった牧場主のジェス・ロウリンズは、妻にも離婚され、息子は精神障害、親父からの遺産の牧場の経営は行きづまっていた。そんな彼を主人公として、昔見た西部劇の主人公ばりに仕立てて、事件は壮絶な銃撃線を交えて解決へ。犯人ら、またもう一人のロス市警退職警官ヴィアトロ、幼い姉弟、そして魅力的で奔放な母親モニカは銀行家ジム・ハーンとの子供がアニーだと、様々な伏線を用意した著者の周到な展開に読者は魅了され、遂に最後のページへ、そして読後何故か不思議な安堵感を覚えるのは私だけであろうか。

土曜日, 3月 07, 2009

小熊英二著「インド日記」を読んで。

著者が、2000年1月から2月に渡りインドデリー大学の客員教授として招待された際に記した日記を纏めた一冊である。著者の本はこれまで1冊読んだが、内容はわかりやすく日本の近代史、明治維新から昭和までの歴史、民族的ナショナリズム、民衆のアイデンティティを研究する人である。今や「フラットの世界」でも度々登場する南西部のバンガロールは、既に知られているとおり、世界のBPO(ビジネス・プロセス・アウトソーイング)のメッカである。著者が2ヶ月に渡り現地インドの東西南北を旅しての感想というか旅行記は、当時のインドのドキュメンタリー及びルポとして評価したい。知識人及び著名人との対話を通して当時のインドの状況が解る。カースト制という階層の社会で逞しく、したたかに生きるインド民衆の生活が肌で感じられるように描写されている。知識人との対話の中で「日本山妙法寺」の立役者中村上人の思想は現代社会に生ける我々日本人の生き方をもう一度見直すべき蘊蓄を感じる。

金曜日, 2月 27, 2009

季刊「羅針」編集部編「あこがれのゴルフ三昧ロングスティイ」を読んで。

この本は、ハワイ、タイ、マレーシアつまりハワイとアジア中心のロングスティイを中心にしかもロングステイを「ゴルフ」中心に書かれている。私はハワイに4回、オーストラリアに5回、タイに5回、マレーシアに2回、インドネシアに3回、台湾に2回とアジアを中心にゴルフをして来たが、物価の安さと治安そして年金額を考慮して、総合的に判断するとやはりアジアなかでもマレーシアの治安、物価、英語が通じる、ゴルフ場と第一位にランクすると思う。コタキナバルしか行ってないが、唯一欠点としてはビジネスクラスの航空券が高いといったところか?
通常3ヶ月滞在で十分であると思う。アジアを拠点として、オセアニアから中東、西欧への旅行も可能である。4月から7月までは日本へ8月から9月まではカナダで、10月から12月はタイ、1月から3月はマレーシアと、そんな日々の夢を見させてくれる本である。

月曜日, 2月 23, 2009

ドロシー・L・セイヤーズ著「ピーター卿の事件簿」を読んで。

著者の1930年代の作品からの珠玉の短編集ということである。シャーロック・ホームズの後継と歌われた著書の推理短編集である。ピーター・ウィムジー卿が、解決してゆく殺人事件はホームズを彷彿とさせる。ドイルのホームズが少し科学的な側面があり、ジェフリー・ディーヴァーへの系譜と思わせる。英国ロンドンを中心に田舎での事件が多い。「不和の種、小さな村のメロドラマ」はウィムジー卿の探偵の真骨頂とも言うべき作品である。

木曜日, 2月 19, 2009

スコット・フロスト著「警部補デリーロ」を読んで。

米国はカリフォニア州パサディナ市警の女警部補デリーロが、一人娘レーシーのひょんな事件から、連続殺人事件に巻き込まれてしまう。著者のパサディナ市や物語の背景の描写は、冗長性を伴うものの訳者が言っているように3Dを連想させる見事な描写で、息づかいが読者に伝わってくる。人気TVドラマシリーズXフィイルの脚本を担当していたということで、納得。次々と発生する殺人の連鎖そして犯人は連続爆弾魔だと判明、誘拐人質となったレーシーと連鎖を辿り追いつめるデリーロとの壮絶な戦い。死と向き合う事でのギリギリの生との境界線上にある人間の究極の愛とはやはり、血を分けた子供への母としての肉親への愛に行き着くのであろうか。

月曜日, 2月 16, 2009

サイパンへ行ってきました。

2泊3日の忙しい旅でした。今まで数十回のうち一番短いステイとなりました。今回はゴルフのみでした。
サイパンは今回始めてです。
ホテルはサンロケ地区島の北西になります旧ニッコーサイパンで、今はパームス・リゾートホテルとなっています。多分オーナーが変更になったようです。ホテルから15分ほどのラオラオベイ(LaoLaobay)カントリークラブで1日2ラウンドしました。WestコースからEastコースへと回りました。
なんと苦節約30年に渡るゴルフ人生の中で初の快挙、つまりエース、ホールインワンを達成しました。EastコースNo4ショートホール距離は150ヤードやや強めのアゲインストの風の中7アイアンのショットは、ピンハイの右5~6ヤードからスロープでボールはカップに吸い込まれました。「あれ!ボールが消えた。もしや?」
このホールは左が海です。カートでグリーンサイドへそしてカップを確認、マイボールは確実にカップインしていました。
ラウンド終了後にサーティフィケーションカードを貰いました。ホールインワンの証明書ですね。
夜はガラパン地区に繰り出しカントリーハウスでステーキとスーパーでお土産品を買い今回の旅を終了しました。

木曜日, 2月 12, 2009

トム・ロブ・スミス著「チャイルド44」上下巻を読んで。

1950年代前半、場所はソ連のモスクワKGBの前身国家保安省の役人レオそして妻のライーサが、児童殺人事件に遭遇する。上巻は冬の時代のソ連をこれでもかと描写する厳寒の地、そして粛清まるで現在の北朝鮮のキムジョンイル体制を髣髴とさせるように思える。正義感の強いレオは事件の捜査で保安省の規定から外れた捜査を行い遂に遠隔地へと降格され、民警として働く。全ての利権そして快適な住まい、さらに両親をも巻き込んでいまやレオに残されたものは、何もない。人間丸裸になった時点で、夫婦愛に目覚め国家保安省の追及から逃亡する中で、人生を賭してやるべき児童殺人事件の犯人を検挙するこの一点に絞り夫婦助け合いながら突き進む。物語の結末は、意外にもアンドレイというレオを自身の弟であった。。。


火曜日, 2月 10, 2009

シオドア・スタージョン著「海を失った男」を読んで。

幻想作家とかホラー作家とか呼ばれている著者だというが、かなり内容は哲学的に分類される。「ビアンカの手」は実は愛の究極的な形を追求したのではないか。と思われる。ランとビアンカの世にも不思議な愛そして結婚、精神異常者間の愛といえばそれまでだが、実際そのような精神でなくてはなされない愛ではなかろうか。通常の人間にとっての愛というものが存在しないとも受け取れるメッセージか。
この短編集に人間の全て、愛、怠惰、人生、神、悪魔等等とスタージョンの創造力は読者を魅了してやまない。

金曜日, 2月 06, 2009

シドニー・シェルダン著「上の吹かす風」上下巻を読んで。

米国は、カンザスシティーの田舎町の大学教授であるメアリー・アシュレーが、ある日突然大統領の補佐官スタントからの電話で東欧の共産圏国家ルーマニアの大使へと案内される。愛する夫エドワードと離ればなれとなる生活を考えられないメアリーはこの話を断る。がある日突然夫は交通事故死となる。決心したメアリーはルーマニア大使に赴任する。そこでは独裁国家のイオニスク大統領が全権を握る諜報機関が暗躍する闇の国家であった。米国大統領エリソンからFBIやCIAさらにルーマニア、暗躍する国際的テロリストと登場人物はまさに世界を跨ぎ、物語の展開のテンポは他の著者の作とは全く違い最後の頁まで読者を誘う迫力がある。今まで読んだ中で私は一番だと思う。

金曜日, 1月 23, 2009

シドニィ・シェルダン著「億万ドルの舞台」上下巻を読んで。

エディー・ジョーンズなる主人公は、役者である。端役ちょい役である。妻メアリーに子供が生まれるのに家計は火の車で、家賃からスーパーにまで借金する羽目となっていた。友人のプロデューサであるジョーンズに相談して端役として南アフリカでの「マイ・フェアレディ」の講演に同行してはと。彼に選択肢はなく南アフリカのアマドール国、一党独裁ラモン・ボリバル将軍が全権を掌握する紛れも無い独裁国家であった。ひょんな事からつまりボリバル将軍が手術の為入院する事になった。腹心のトーレス大佐は自国のクーデターを恐れ将軍と相談の上、将軍とそっくりなエディ・ジョーンズに身代わりをさせることとなった。自由な国アメリカからニューヨークから来た彼は、ボリバル将軍の身代わりとなってから、この国は独裁によって疲弊し貧困の最中にあった民衆を救う事となる。本物のボリバル将軍の退院の日、彼はようやく脱出しニューヨークの我が家へ、アマドール国で書いた独裁者の原稿は既にジョーンズの手からブロードウェイと評判はマスメディア絶賛となった。そしてエディーは米国民主党の大統領候補となり遂に米国大統領へと。シェルダンの今までに無い寓話的な物語の展開は小気味よく、北朝鮮の将軍を連想させアメリカ的自由とデモクラシーを世界中にと米国民シェルダンを持ってしてもそうなのか?と思わせる。

シドニー・シェルダン著「よく見る夢」上下巻を読んで。

この物語の主人公アシュレー・パターソンは、カリフォニア州の都市のIT関連企業に勤務するOLである。
彼女の知らないうちに殺人事件が、1件また1件と重なってゆく。殺人現場には、ハッキリとしたアシュレー
の指紋がついた凶器と精液そして何れの殺された被害者は去勢されていた。
警察はFBIの支援によりDNA鑑定を交え遂にアシュレーを逮捕する。そして裁判へとアシュレーの父親で
あるスティーブン・パターソン博士は、脳外科の権威ある有名な医学博士だ。過去自分の母親を助けてもらった恩義から若き有能なデイビッド・シンガーは弁護を引き受けることになった。裁判の過程でデイビッドは、被告アシュレーの精神鑑定をセイラム博士に依頼する。そこで被告人は、多重人格障害者と判明する。アシュレーの中に「オルター」という多人格者が存在することが判明した。
検察優位に進められる中で、最後に弁護人はアシュレーのオルターを呼び出すことに成功しビデオに収録し判事に見せる。裁判は弁護側が勝利しアシュレーはコネチカット州の精神病院に搬送される。ここでの治療にあたるギルバート医師が様々な治療を工夫し遂にオルターの出現の正体を確認する。
それは、DVであった。父親による性的暴力が引き金となってオルターの出現を生んだという結論に達した。
殺人と多重人格障害というテーマのこのサスペンスは、現代社会における病理が生んだ産物か。



土曜日, 1月 17, 2009

竹内一正著「スティーブ・ジョブス」を読んで。

ジョブズの半生を綴ったエピソード的記述だ。彼の人生観・夢・物作りに対する執拗なまでの信念とかが、この本の命題だ。敵が巨人であろうと、少しも怯まず立ち向かい、「いいものを作る」ただ一点の為に自分の信念を持って立ち向かうこれがジョブズだ。アップル1から2そしてマッキントッシュへさらにiPOD,iPHONE,iTMS,トイ・ストーリーに始まるアニメーション映画の作成ジョブズの飽くなき新しい物を作るという行動は、留まることを知らぬ。IBMパソコンをまたWindowsビスタをCPUチップを入れた箱、アップルの古いOSの踏襲と扱き下ろす。美に対する感性とどこまでもやり遂げる信念をジョブズの中にみる。

水野和夫著「金融大崩壊「アメリカ金融帝国」の終焉」を読んで。

95年から始まるアメリカ住宅バブルが、サブプライムローンという実態不明な金融派生商品が、世界の金融市場を席巻した。著者はTVでもエコノミストとして最近登場する。この金融資本主義の崩壊を予見していたが、思ったより次期が早かったと述懐する。何故ここまでに至ったかを新自由主義を掲げ登場したブッシュ政権のアメリカ及び資本主義から当然の結末としてそのプロセスをこの本で説明してゆく。そしてグローバル化がネット普及と伴に一気に進んだ現代社会の中で資本だけが、生き残った。今後アメリカの復権は無いという著者奇しくも2日後に新たなオバマ政権の誕生を迎えるアメリカはどうこの世界金融危機から再生を果たすのか?また今後日本の行方は?日本の中小企業はどこへ向かうべきか?やはりブリックスといわれるアジアを中心とした海外ビジネスモデルを早期に確立すべきだと説く。

シドニー・シェルダン著「氷の淑女」上下巻を読んで。

レスリー・スチュアートとオリバー・ラッセルとは恋人同士だった。だが若くてハンサムな弁護士ラッセルは、彼女を裏切り上院議員の娘ジャンと婚約してしまう。ここからレスリーのラッセルへの復讐劇が始まる。美貌と有能な彼女が、次々とメディア・情報配信会社を買収し遂にラッセルを追いつめる。しかし最後の最後で逆転劇が待っていた。秘書としてまた信心深い有能なピーター・テイガーが殺人犯として浮上する。結末がもう少し読者を引き込む展開が欲しいと思うのは私だけであろうか?


土曜日, 1月 03, 2009

シドニィ・シェルダン著「遺産」を読んで。

新年最初の読書は、シェルダンの「遺産」である。今から十数年前の作品である。膨大な遺産を巡る血族の抗争の結末は古典的なものであった。ハリー・スタンフォードなる大富豪の子供3人と家庭教師との不倫の子1人の人生の描写、前半は主人公であるハリーの描写である。これからの展開に期待を持たせる。しかし中盤及び結末は少し退屈気味であり、どんでん返しはない。今やTVのサスペンスドラマの域を出ていない。