木曜日, 1月 06, 2011

加藤廣著「信長の棺」下巻を読んで。

いよいよ、この巻で稀代の英傑織田信長の遺骸が発見されるかとページを繰りつつ。本能寺に近い阿弥陀寺から本能寺まで秘密のトンネルがあったという。信長、蘭丸他2名が光秀襲撃の後このトンネルに逃げ込んだが、秀吉の策略でトンネル内に壁が作られ、図らずも信長は阿弥陀寺に到達できないまま壁の前で命を失った。その遺骸を清玉上人が阿弥陀寺に引取、後日明智左馬助と相談し無縁墓地に幾多の死人の下深く埋葬し秀吉の執拗な遺骸の探索を振り切ったというくだりだ。

月曜日, 1月 03, 2011

加藤廣著「信長の棺」上巻を読んで。

2011年最初の一冊は、表題の作品である。今年の正月は、穏やかな天候にも恵まれ静かな正月である。さて著者の作品は始めてである。最近歴史ミステリーが、面白い。昨年読んだ写楽のミステリーは最高だ。今回本能寺の変にて明智光秀に奇襲を受け殺害された信長について、家臣である大田牛一なる主人公が、日々信長に使え度々記した日記を元に「信長記」書くにあたり、調査する中で信長の遺骸が見つかっていない謎に迫るという設定だ。光秀が乱を決起する前、公家の近衛前久(さきひさ)と茶屋四郎次郎邸にて頻繁に会っていて、前久が光秀に決起を促したとするくだりや桶狭間での今川軍を討伐した際の木下藤吉郎(後の秀吉)の働きについて、すでに家康との合意の下に行われたという説など面白い記述があり歴史の裏側に思いを馳せることができる。信長亡き後、九州征伐に西軍していた秀吉が、急遽駆けつけ光秀を討つくだりは、やはり事前に家康との裏取引があったという面白い説だ。時代は秀吉一色に染まってゆく。

水曜日, 12月 29, 2010

伊坂幸太郎著「グラスホッパー」を読んで。

読後の感想から言えば、「実に面白い」と思う。著者の書は、これが初めてである。村上春樹に通ずる底流で蠢く人間の性(さが)が不条理性を伴い流れている。鯨と称する自殺屋という殺し屋が愛読するのはドストエフスキーの「罪と罰」であることもおもしろい。鯨が言う「人は誰でも死にたがる。」と。主人公の鈴木は、殺し屋とやくざの集団に囲まれ翻弄される。殺人ゲームの真っただ中に突き落とされ、右往左往しながら生きながらえる。最終頁まで読ませる力をこのミステリーは持っている。

永井義男著「江戸の下半身事情」を読んで。

数々の江戸の庶民や武士の生活事情を読んできたが、今回は下半身事情だ。性風俗に対する江戸庶民は、あっけらかんとして野放図であったという。葬式の帰り塩で清めその足で女郎買いに出かけるといった話が載っている。
公共の売春宿である吉原を筆頭に岡場所などまた主要街道沿いには必ずあったと言われる。東海道品川宿を始め甲州街道内藤新宿、日光街道千住板橋宿といった場所である。岡場所や飯盛茶屋さらに夜鷹と江戸庶民の性の捌け口は現代にも勝るものがある。時代を超えて、人間の本性は変わらないと思う。

土曜日, 12月 25, 2010

梓崎優著「叫びと祈り」を読んで。

2010年週刊文春ミステリーベストテンの内弟2位とあり、手に取った。勿論著者の本はこれが始めてである。5つの短編の構成なのだが、その一つひとつがつまり構成する短編の舞台がバラエティーに富んでいる。アフリカはサハラ砂漠を舞台の殺人、オランダ、ロシア、ブラジルのジャングルといったステージは、これまでの日本のミステリー作家にない未知の可能性を秘めた作家であると思う。

貴志祐介著「悪の教典」下巻を読んで。

いよいよ蓮見教諭の過去の全貌が明らかにされる。そして文化祭を控え一泊で準備のため校内に宿泊するその日、サイコ教諭蓮見の連続殺人事件の幕が切って落とされる四十数人つまり参加している生徒全員を皆殺しにするといった殺人計画が、次々と実行される。散弾銃を手にした蓮見の容赦ない殺人が、至近距離から頭をぶち抜かれて次々に倒れてゆく生徒の悲惨な姿が、地で埋められてゆく校内の様子が克明に描写される。何故か海外ミステリーを読んでいるような容赦ない無差別な殺人は、日本のこれまで読んだミステリーには無い特異なプロットには、正直驚かされた。

貴志祐介著「悪の教典」上巻を読んで。

読み始めて、学園ドラマの単純なミステリーかと思った。町田のとある私立高校で起こる連続殺人事件その中心にいる蓮見教諭、彼を中心とした他の教師そして生徒見境の無い殺人は、読者を震撼させグイグイと引き込む力を持つ。蓮見教諭の得意な生い立ちが、徐々にベールが剥がされる。なんと父母をも殺すというサイコ教師だ。

火曜日, 12月 21, 2010

島田荘司著「写楽 閉じた国の幻」を読んで。

著者の書はこれが、初めてである。この「写楽」長編である。700ページに近い。しかし読み進めてゆく内に歴史の謎を推理するといった途方もない計画であることが判る。江戸末期東洲斎写楽が描いたとされる歌舞伎役者絵は、歌麿ほか当代の名絵師が描いた作品とどこか異なったつまり違和感がある。デフォルメされた顔と鼻や眼の造作は、既に日本人の筆を圧倒している。忽然と姿を消した写楽の謎を追い詰めてゆくこの書は実に面白い本年度のベスト5に入るものだ。

火曜日, 12月 07, 2010

的場昭弘著「超訳「資本論」」を読んで。

北海道は、札幌すすきのは今雪が降っている。関東から来ると非常に寒い。著者は大学教授でマルクス研究家だ。NHKの再放送で「一週間 de 資本論」という番組に出演されていた。30年も前に資本論を読もうとして、挫折した覚えがある。今また資本論を読もうとしている人が多いとか?。貧富の差が激しくワーキングプアーと言われる階層の出現は、マルクスが資本論を書いた時代と似ているかも知れないという。勿論この本は資本論の入門書である。2500ページにも及ぶ大著を新書版で紹介しているという位置づけだ。マルクスは資本主義社会を科学的に分析とされる天才だ。彼は、商品を分析しその中に含まれる労働価値の二重性に着目し貨幣が生まれる歴史的価値というか必然性を説明する。そして資本の分析へと労働力を売るしかない労働者、労働力の価値を最大限利用すべく生産手段を投入する資本家この対立関係は、古来から現代に至る資本主義社会の歴史の中で普遍の対極だ。世界はグローバリゼーションにより、世界的工場形態とも言える大企業が出現している。安い労働力を求めてアジア、アフリカへと。搾取、収奪の上でのみ生ける資本の論理は今も脈々と生き継がれている。
今資本論を手に取るとすれば、現代に生ける我々の社会が、何処へ行こうとしているのか?マルクスだったら
どう考えるかを読みたいと思う。

月曜日, 11月 29, 2010

トニー・ケンリック著「三人のイカれる男」を読んで。

1974年の原作だ。精神病院に通院する3人が巻き起こすドタバタ劇、だが決して憎めない男たちが、ある日通院途中でニューヨークの通りで陥没した道路の穴に乗っていた乗用車を突っ込み大破させる。怒り心頭の3人は、ニューヨーク市長への復讐心に燃える。ここから後半まで一気に読ませる面白さを本書は持っている。プロットの巧みさは圧巻だ。

金曜日, 11月 26, 2010

ジェフリー・ディーバー著「ロードサイド・クロス」を読んで。

著者の本は、これまでほぼ全て読破している。今回は、リンカーン・ライム&アメリア・サックスシリーズではなく、米カリフォルニア州の特別捜査官であり、キネシスクの専門家であるキャサリン・ダンスシリーズ、「スリーピング・ドール」からの二作目だ。期待どおりのローラコースター的結末といい、ディーバーの真骨頂的作品として仕上がっていると思う。舞台は、カリフォルニア州モントレー、ゴルフ好きにはタマラナイ世界屈指の名ゴルフリンクスそうペブルビーチほかゴルフの聖地だ。交通事故を切っ掛けに連続殺人事件が発生し、ターゲットとなった高校生でネットゲーマーオタクと地元でブログを運営する有名人、まさにコンピュータネットワークをテーマで発生する殺人事件の捜査をダンスがキネシスクを駆使して犯人を追い詰める。事件は意外な結末へと向かう。

金曜日, 11月 19, 2010

五木寛之著「歎異抄の謎」を読んで。

仏教から浄土真宗、法然、親鸞そして蓮如と著者が数年に渡り研究し続け何度も読んだという親鸞の随門を記した唯円の著作だ。第1章から18章までの短い著作の中にある親鸞の信仰哲学が書かれている。著者の現代訳の後章に、原文が掲載されていて「歎異抄」を読む好著だと思う。

木曜日, 11月 18, 2010

ディーン・R・クーンツ著「殺人プログラミング」を読んで。

閾下という知覚制御というか、マインドコントロールをする薬剤を開発した3人と休暇で訪れたブラック・リバーという小さな町を舞台に展開するサスペンスだ。人間の無意識下にある意識をコントロールするという旧ドイツナチスが、行ったといわれる。映画・広告にもこの手法が使われていると。コンピュータ社会到来を告げる1970年代に発表された本書だが、今でも説得力があり面白く読んだ。

火曜日, 11月 09, 2010

五木寛之著「他力」を読んで。

本書は、エッセーを纏めたものである。テーマ・アジェンダは、現代社会と宗教、人生色々と言ったところだ。中でも、著者お気に入り親鸞の正統的伝承者である、蓮如についての記述が多い。親鸞が哲学的理論派とすれば、まさに現代で問われている実践派を行くのが蓮如だと。日本の宗教家が、現代社会の様々な説明できない事象例えば、酒鬼薔薇少年事件やオーム真理教地下鉄サリン事件、そして年間3万人を超える自殺者この現代社会の暗部・恥部をどう説明するのか?著者は問う。

金曜日, 10月 29, 2010

ドン・ウィンズロウ「高く孤独な道を行け」を読んで。

ストリートキッズから3作目にあたる本書は、やはりニール・ケアリー青年探偵が活躍するミステリーだ。前作は、中国は四川省を舞台だったが、米国に戻り場所はカリフォルニアだ。幼児誘拐事件とその奪還依頼を受けた組織が、中国でのミッションを終え休暇中のケアリーに命がくだる。ユダヤ排斥、キリスト教同一同盟とのネバダの峡谷で繰り広げる死闘を交え、シリーズの味を存分に楽しめる。

水曜日, 10月 13, 2010

ドン・ウィンズロウ著「仏陀の鏡への道」を読んで。

文庫本で、600ページにも及ぶ長編推理小説である。著者の「ストリート・キッズ」処女作から2作目の物語である。一作目と同様主人公で私立探偵ニール・ケアリーが、活躍する舞台は、中国である。香港から四川省は成都まで及びさらに歴史的な背景までをプロットするというミステリーというか冒険小説的な物語となっている。仕事の合間に読んでまさに「ちょうどいい」という表現が、ピッタリのミステリーだ。

月曜日, 10月 04, 2010

ポール・メルコ著「天空のリング」を読んで。

かなり、長編SFである。名古屋へ行く途中、東京駅で本を忘れてきたのに気づき買った。5人の少年少女が改造人間となり、ポッドという集合体人間化し宇宙と地球を往来し冒険する物語である。地球上の人間数十億人が死んでの世界を、遺伝子工学を創めとする未来工学を駆使して作られた改造人間の世界は、ただただ退屈だった読後感である。

村上春樹著「ノルウェイの森」下巻を読んで。

死は生の対極でなく常に傍にあり共にあるものだと。下巻では、直子が自ら命を絶つ。何もかも残さず全ての行ける軌跡を消して、緑の父は、生涯を賭して起こした本屋を背に死んでゆく。残された姉妹二人は、本屋を処分してアパートに住み夫々の生活を始める。主人公渡辺青年を取り巻く、交通事故死する友人、そして友人の恋人であった直子、そして緑の父の死三者三様の死を描く。そうした死を見つめながらも生きる主人公の死生観とも言うべき不条理性というべきかを思う。そして生は続く。

土曜日, 9月 25, 2010

村上春樹著「ノルウェイの森」上巻を読んで。

著者の本は、この「ノルウェイの森」で3作目の読破となる。海辺のカフカ上下巻と1Q84の3部作そして今回の書である。自然から始まり女性、性とその類まれな文章の表現力は驚嘆に値する。そしていつも著者の小説にみる「人生」=「不安」「孤独」というテーゼが、各作品を貫いているように思う。主人公は37歳になるワタナベ君なる人物で18年前の青春の回想の物語である。ある大学の寮に住む主人公の青年を取り巻く同室同僚、頭の切れる永沢、そして恋人直子、大学の同僚緑。直子は元々同僚キズキ君の恋人だったが、彼は交通事故死となって、それ以降ワタナベ青年との交際が始まるが、彼女は精神疾患で京都の山深い療養所に行ってしまう。

日曜日, 9月 19, 2010

ドン・ウィンズロウ著「ストリート・キッズ」を読んで。

1970年代中期の著者の処女作と思われる「ストリート・キッズ」を読む。二ール・ケアリーなる主人公は、父母に見捨てられたストリート・キッズだ。父さんと呼ぶジョー・グレアムに育てられ、掏りの手口やらを入念に指導を受け成長する。大学院進学を前に、銀行の裏組織「崩友会」なる組織より、家出した娘、チェイス米上院議員の娘の捜索を指示され、ロンドンへと赴く。麻薬中毒と売春婦として生けるアリーを発見、アメリカ故郷へとアリーを奪還すべくニールの冒険が始まる。「犬の力」「グラーグ」シリーズを読んだ後では、聊か拍子抜けするが、著者の現在に至る軌跡をトレースできた気分であり、500ページにも及ぶ長編にも拘らず一気に読める一冊であった。

木曜日, 9月 02, 2010

梅棹忠夫著「情報の文明学」を読んで。

著者のものを十数年前に読んだ。「知的生産の技術」岩波新書だったと記憶している。読後、京大式カードを作成した覚えがある。フィールドワークの情報整理からの発想だったように思う。そんな著者が、A・トフラーの「第三の波」が発刊されたのが1980年、文明史観というか未来学的発想に目を見張った、正に目から鱗状態であった。その「第三の波」より先んずること17年、つまり1963年に情報の文明学なる本を書いた著者を天才と思う。日本で初めて「情報」という言葉に定義を与えた人物であった。現代のコンピュータリゼーション生ける我々はともすると、情報産業やらつまり情報という言葉が、ITを指し狭義の意味として使用されている。情報とは、文明を区画する時代の遷移をも意味する歴史的文明的なものだと著者は言う。

木曜日, 8月 19, 2010

柿崎一郎著「物語 タイの歴史」を読んで。

タイ周辺の国、東シナ半島周辺のベトナム、カンボジア、ビルマ(現ミャンマー)との対立抗争と国内での政変(クーデター)を繰り返し、現プミポン国王(ラーマ九世)へと変遷するタイの歴史は、正に抗争の歴史である。なかでも14世紀のアユタヤ王朝400年の歴史は堅固な王政ととも、今に見る世界遺産の建築寺院を始め文化の発展にも多く寄与した。

月曜日, 8月 16, 2010

角川歴彦著「クラウド時代とクール革命」を読んで。

IT、ICTと呼ばれる情報技術の覇権も既にアメリカに握られている。WebからYuTube、iPODやiPHONEそしてiPADつまり、出版・書籍から音楽そして映像、地図さらに通販と既に身の回りの全てに於いてマイクロソフト、グーグル、アップル、アマゾンなど巨大IT企業の下にある。日本の未来はあるのか?の問いに著者は、クール革命が必要であると。過去読んだ野村総研のIT市場分析では、日本のガラパゴス化は世界の市場から見放されグローバルスタンダードから乖離し世界市場に打って出られないと分析されたが、著者はガラパゴス化で結構という。日本独自の技術文化は、外国人から見てクールだと思われるコンテンツを掘り進め提供すべきだと、著者が言う2014年がその革命の年であると。今やアメリカの巨大IT企業は、こぞってクラウド化に突き進んでいる。このクラウド市場でも日本は遅れを取り戻さなければならないと著者は懸念する。

土曜日, 8月 14, 2010

五木寛之著「仏教のこころ」を読んで。

現代の於ける「仏教」の意味というか役割はどのようなものか?著者の真摯な問いがこの本を書いた動機でもある。この本の中で面白いと思ったのは、キリスト教布教の日本と韓国の違いである。日本のキリスト教信者は推定百数十万、これに対して韓国は一千二百五十万にも上るという。国民の25%にも達する。この違いこそが日本人の特性であると。神仏の区別なく混淆した日本人の精神構造は、私はその風土に今風に言えば、自然環境にあると思う。四方を海に囲まれ清らかな山河と四季は、日本人の精神構造を規定した大きな要因だと思う。仏があり、神様がある。この宗教観は世界的に見ても唯一無二の日本人特有なコンプレックス(複合的)な寛容と共生を可能とする意識構造を獲得したように思う。今イスラムとキリストの宗教対立が伴う戦争が、21世紀の世界に暗い影を落としている状況下で、この日本人の思想こそが世界を救うのではないかと著者は言う。

ウンベルト・エーコ著「薔薇の名前」下巻を読んで。

この「薔薇の名前」は、7日間の修道士ウィリアムとその助手であり見習修道士アドソとの修道院滞在中に発生する殺人事件のプロットである。華麗にして荘厳な修道院は、稀有にして膨大な書物の蒐集しそれを所蔵する文書館を持つが、この複雑な迷路になっている文書館こそが、殺人現場となった。次々と発生する殺人事件の最中に教皇派の使徒団が到着し、異端審問官ベルナールにより一旦は解決したかに見え院長はウィリアムとアドソに退去を命じるが、事件解決の執念を燃やすウィリアム修道士は遂にその核心へと踏み込む。事件は、一人の盲目の老修道士ホルヘの一冊の書物を廻る異常なまでの神への服従が齎した結果であった。

土曜日, 8月 07, 2010

ウンベルト・エーコ著「薔薇の名前」上巻を読んで。

著者ウンベルトは、イタリアの哲学者でもあり小説家である。14世紀、教皇と法王との宗教対立を背景に描かれたミステリー長編小説である。イタリア北部を中心に当時ヨーロッパの修道士、修練士の名前はミステリーとしては、あまり出てこない長ったらしい名前は読者を辟易させるに十分だ。精緻な歴史的な背景描写とアビニョンにある壮麗で複雑な数学的要素を取り入れた建築である物語つまり殺人現場であるメルク修道院の中で暮らす修道士の生活を通して、腐敗した宗教の実態が細かく記述されており小説とは思えぬ背景描写は、読者にとっては余りありがたくない。フランシスコ会修道士ウィリアムと修練士アドソが、調停の為メルク修道院に派遣されてから直ぐに殺人事件が発生する。修道院長に全権を委任され事件捜査解明にあたる二人は、修道院の秘密を次々と明るみに出すが、解明に至らぬまま次々と修道士が殺害され未だ、殺人犯人の特定ができずに。修道院の複雑な建物設計にかかわる殺人ミステリーというと、綾辻の暗黒館の殺人を思い出す。

水曜日, 7月 28, 2010

五木寛之著「蓮如」を読んで。

本願寺再生復興に向けて、8代目法王となる親鸞亡き後の蓮如の物語である。先に同著者の「親鸞」を読んでいるので、続編を読むような気分であった。時は、室町幕府戦や飢饉による大量の死者が、京の都の川辺に投げ捨てられるそんな暗黒な時代背景の中民衆は極楽浄土を願い一向念仏を説く蓮如の元へと集まる。親鸞聖人の深い教えを如何に民衆に平易な言葉でもって伝えるかを苦悩する蓮如の姿がある。84才の生涯の中で5人の妻をめとり27人の子供を設けた蓮如は、偉大なる煩悩を持ち合わせた聖人であった。

月曜日, 7月 26, 2010

湊かなえ著「告白」を読んで。

ストックしていた本も、シェイクスピアの「リア王」で切れた。近くのスーパーの中の小さな本屋、ここで「告白」を手に取った。2009年本屋大賞第一位とポスターの前に数冊置かれていた。300ページほどの文庫本を購入。昨日と今日の2日間で読破。何か物足りなさを覚える。母と息子の愛情物語か?その息子らに向かう教師、ある中学校のクラスの担任の女性教師の愛娘が、自分の教え子2人によって殺害される。教師の執拗な独自捜査によって遂に2人の教え子渡辺と下村に行き着く。そして復讐へと。女性教師としての母と子、犯人である教え子2人それぞれの母と子、歪な愛情が愛憎に変わってゆく過程を描く、何故か父親は影の薄れた存在だ。子に対する親の愛情を教師と殺害された愛娘そして教え子2人とそれぞれ母との関係を教師の側そしてそれぞれ息子の側から描く。

土曜日, 7月 24, 2010

シェイクスピア著「リア王」を読んで。

今回も、買い込んだ最後の1冊「リア王」だ。シェイクスピアは、劇作を作るとき種本を利用するという。様々な古典を参考にする。しかし、結果はシェイクスピア独自の作品として、独自のプロットを付加して新しい作品として誕生させる。このリア王も参考本では王と3人の娘の物語で、末娘のコーデェリアを追放し残る2人に全ての財産・領地を分け与えた王の結末は惨憺たる結果となり、不遇の状況の中コーデェリアと遭遇し、打ち解け最後まで仲良く暮らしたという話でつまり、ハッピーエンドで終わる物語であった。しかしシェイクスピアのプロットは、グロスターという部下を配しハッピーエンドどころか、王とコーデェリアは、殺害されてしまう。幾つかのシェイクスピアの物語を読み終えて感ずるのは、彼の人生観だ。シニカルであり、つまり成るように成らない不条理性と人生の偶然性が、彼の底流にある。これが悲劇の本質なのだろうか。

月曜日, 7月 19, 2010

シェイクスピア著「マクベス」を読んで。

戦闘から帰還途中で、魔女3人と遭遇する。魔女の予言が、マクベスの運命を翻弄することになる。スコットランドの王であるダンカンを殺害、さらに友人で同士であるバンクオーをも殺害する。殺人が殺人を呼び、もはや後戻りできない。血でもって制裁を加えたマクベスは、殺人し逃亡する者の心理状態に陥る、もはや正常な判断ができなくなる。シェイクスピアの著作の中でも、血なまぐさい物語である。マクベスは言う「いったん悪を始めたからには、悪を重ねること以外、強くなる道はどこにもない。」恐ろしい人生の教訓かと。

日曜日, 7月 18, 2010

R・D・ウィングフィールド著「フロスト気質」下巻を読んで。

デントン警察署のフロスト警部の人柄を想像するに、イギリス人もこうだったかと思い知らされる面がある。ガムシャラに事件にあたる警部そして同僚部下デントン警察署長マレットとのやり取り、何故かほのぼのとした警部およびイギリスの田舎警察署の風景が冗長性を伴って、好感が持てる。
署管轄内で次々と発生する殺人事件をフロスト警部は、定石どおり捜査を進める。警部独特のカンを頼りに、最後まで犯人を追いつめる執拗な捜査こそフロスト警部の持ち味だ。幼児誘拐から殺人事件へと展開する犯罪に全身全霊で捜査に邁進する警部の推理と苦悩が何故かイギリス人の人間性をも描く、著者の警察探偵小説の神髄だろうか。

月曜日, 7月 12, 2010

R・D・ウィングフィールド著「フロスト気質」上巻を読んで。

著者の警察探偵小説は、初めてである。気さくな愛すべき警部フロストが、誘拐事件に巻き込まれる。警部の同僚から署の署長そして部下とさらに他の殺人事件が発生する、幾分冗長さは否めないが、次から次へと展開するプロットは十分楽しめる。

日曜日, 7月 04, 2010

マイクル・コナリー著「天使と罪の街」下巻を読んで。

連続殺人犯として元FBIの捜査官バッカスはハリーの中で決定的となってきた。独自にバッカスの行方を追うハリーにFBIはレイチェルを監視として彼に向ける。そして友人マッケイレブが残した地図のメモを解き明かしロスからべガスそしてザイジックス・ロード1マイル先へと、遂に犯人バッカスを追い詰めた嵐の夜ハリーは、犯人が潜む建物の裏手のロス川の濁流に。。クライマックスは、それなりにワクワクするものだが、どうもディーヴァーやトム・ロブ・スミスはたまたミレニアムを読んだ後では、今一の感が拭えない。

月曜日, 6月 28, 2010

マイクル・コナリー著「天使と罪の街」上巻を読んで。

著者の作品は、初めてである。元FBI捜査官がなんと殺人鬼、その殺人鬼をやはり元ロス市警刑事ハリー・ボッシュが追う。物語は米国カリフォルニア、ネバダ州はラスベガス周辺での展開となる。ハリーは、通常おきまりの刑事ドラマのとおり、一人娘を残し妻と離婚し、今は私立探偵としての身の上だ。元FBI捜査官マッケイレブの死に疑問を抱く妻グラシエアから依頼を受けハリーの追跡が始まる。マッケイレブは、退職後も過去の連続未解決殺人事件について捜査を進めていた。残された彼の資料から、犯人は元FBI捜査官のバッカスではないかと・・・・。

土曜日, 6月 26, 2010

スコット・リンチ著「ロック・ラモーラの優雅なたくらみ」を読んで。

圧倒的なSFファンタジックな状況設定そしてコン・ゲームとして長編の著者処女作である。物語は、産業革命後のベネチアに似た空想城郭都市カモールここに父母を殺され孤児として生きるロック・ラモーラ、カモールの泥棒紳士団の団長として成長する。カモールを支配するドン、カパ・パルサビーとの対決、そしてバルサビィーからラーツアヘ親友を殺害され復習を誓うロック・ラモーラの希有な詐欺師と彼を取り巻く古城都市カモールの支配者達との対決は実に面白い。また空想城郭都市の設定はまさにSFの世界を堪能させる。

火曜日, 6月 15, 2010

シェイスピア著「ベニスの商人」を読んで。

この物語は、パサーニオとポーシャの二人を中心とする恋愛劇であるが、ここにユダヤ人の金貸しシャイロックを配し、キリスト教徒とユダヤ人の対立から友人アントニオを救う賢女ポーシャの美貌と機智。パサーニオとアントニオの友情、シャイロック、ポーシャと登場人物は、それぞれ個性があり劇場での役者のイメージが本を読んでいて湧いてくる。古典中の古典だ。

水曜日, 6月 09, 2010

スコット・マリアーニ著「消えた錬金術師」を読んで。

読んで数ページ過ぎ、この歴史ミステリードラマは多分映画化されるだろうと予測した巻末のあとがきにやはり、そう書いてあった。情景が、色彩が、物語のプロットの巧みさとともに読者をぐいぐいと渦中へと引っ張ってゆくそんな面白さがある。主人公ベンは、英国特殊部隊の隊員を経験し現在捜索屋を稼業とするそんな彼の元へフェアファックスと名乗る人物より孫のルースの病気を治すため、古来伝えられている錬金術を用いた不老不死の手稿を手に入れて欲しいと依頼を受ける。そしてフルカネリという錬金術師に辿り着くその手稿を回り、アクションありミステリーそしてラブロマンスありと冒頭でも言った映画化に最適な展開は実に面白い。2010年私のミステリー推薦NO1といったところだ。

金曜日, 6月 04, 2010

マイケル・シェイボン著「ユダヤ警官同盟」下巻を読んで。

グーグルアースで、アラスカ州を見たが、小説に出てくる島の地名が確認できた。が巻末の訳者後書きを読んで、架空の世界であることを知り驚いた。ユダヤ人専用の特別区のシトカとは正にSFの世界であると。そして以外にもシュピルマンを殺害した犯人は、ランツマンの警察同僚のベルコの伯父のヘルツであった。SFとミステリーが錯綜するこの物語は、何故か今一だった。「ミレニアム」や「犬の力」の方が数段面白い。

マイケル・シェイボン著「ユダヤ警官同盟」上巻を読んで。

出張で北海道札幌へ1週間滞在中に持って来た本を読んでしまったので、ジュンク堂書店に出掛けそこの店員さんに海外ミステリーで売れているベスト5を教えて欲しいというと親切にも挙げてくれたミステリーの中で、1位から4位までは既に読んでいた。そして第5位がこの書であった。物語の舞台は米国のアラスカ州のシトカ特別区を中心としてランツマン警部と同僚ベルコ、ランツマンは妻と離婚した後、安ホテルに住まい505号室で暮らし荒んだ生活をしている。そして、そのホテルの208号室でシュピルマンという青年が殺害された。殺害された青年は、当地区を支配するボスの息子で、救世主として神童と言われた男であった。捜査に当たるランツマンは、遂にボスのメンデル・シュピルマンの自宅へと向かった。

日曜日, 5月 30, 2010

シェイクスピア著「ハムレットQ1」を読んで。

ハムレットのテクストが3つあることを解説を読んで解った。Q1、Q2そしてFだという。中でもQ1が最も短いつまり短編だと。最近の研究成果ではこのQ1が、ハムレットの原形ではないかとされているそうだ。劇場での演目に対する台本は、演出家や役者あるいは劇場側の都合などにより加筆訂正がつきものだという。

P・G・ウッドハウス著「よしきた、ジーヴス」を読んで。

例によって、バーティーと従僕ジーヴスとの軽快なやりとりが、全編を貫き何故か読んでいて安心感を齎す。今回のよしきたは、物語が連続している。例によって、バーティーを回る友人が巻き起こす、恋愛沙汰に翻弄される。ジーヴスの機知に富んだ策が、バーティーを支える。ウッドハウスの人間を見る優しい目がそこにある。

土曜日, 5月 22, 2010

シェイクスピア著「ジュリアス・シーザー」を読んで。

ドストエフスキー著「罪と罰」を古典を読むの第二弾をシェイクスピアとした。古代ローマを舞台に戦争劇を書いた著者が描こうとしたテーマとは何であったかを読後考えてみると、戦争を題材の中心は民衆の民意の不確実性と迎合性そしてその渦中に生ける様々な人間模様その内面を鋭く抉り出す、つまり歴史とは民意の偶然とその渦中に生ける人間の精神の気まぐれさにあると。そう理解する。

冲方丁著「天地明察」を読んで。

普段は、アマゾンで殆ど書籍を購入するが、天気も良く近くの本屋に行き、本屋大賞の広告に釣られこの本を手に取った。全く時代小説の何かも不明であった。読み始めて江戸時代の会津藩の碁の指導指南役、渋川春海なる人物の一代記であることが判明した。碁方の春海が魅かれる算術・術理を求めるが、暦術に興味を魅かれ生涯研究のテーマとして己の春海の人生を全うする物語である。一心不乱の研究を続ける春海の人生に様々な苦難が待ち受ける。人生の邂逅と別離とそして恋とまさしく人生模様を映し出しているこの本を読み終え思わず篤いものが込上げてくる。この物語に登場する和算の大家とし知られる関孝和こそ、我が町群馬県は藤岡市の出身でる。西洋の算術に先駆け既に現在の行列式を考案したという数学の天才である。

金曜日, 5月 14, 2010

ドストエフスキー著「罪と罰」第3巻を読んで。

「罪と罰」を読むに当たって、作者の宗教観、愛について、人生について、運命についてを読み取ろうと意図したが、遥かに深く前述の全てについて書かれているようである。ラスコリーニコフは以前として精神的に追い詰められた状況下で彷徨いながら、刻一刻と自首へと傾斜し遂に警察の門をくぐることになった。この巻は罰の章である。選民思想、貧困、ロシア国内の状況下でのラスコリーニコフの決断は鬼畜金貸し婆の殺人であった。悔いることの無い決断はやがてソーニャとの邂逅によって、徐々に神へと近づいていくことになる。つまりソーニャこそが、神の化身ではないか。やがて判決が下り寛大な8年というシベリア流刑であった。流刑地まで追ってゆくソーニャは、即ラスコリーニコフは神を背に刑期を全うしようとする姿ではなかったか。何れにしても、こんなにも深く面白い小説こそ古典といわれる由縁であろうか。

月曜日, 5月 10, 2010

ドストエフスキー著「罪と罰」第2巻を読んで。

殺人から数日後のラスコリーニコフの生活が描写される。この巻で彼の殺人に至った精神的背景というか哲学が開かされる。またソーニャという娼婦との邂逅は、ラスコリーニコフの神への対峙を意味する。母ブリヘーリアと妹アブドーチャの再会、スヴィドリガイロフという精神的におかしな男とのペテルブルクでの遭遇、友人のラズミーヒンの友人の予審判事であるポリフィーリーとの接見。揺れ動くラスコリーニコフの精神的動揺が描写されている。

ドストエフスキー著「罪と罰」第1巻を読んで。

地方での元大学生ラスコリーニコフは、大都市ペテルスブルクで極貧生活を安アパートの五階で日々生活する中で、自虐的な精神状況下で、ふとしたことから殺人を決意する。母からの仕送りを全て居酒屋で使い果たすといった荒んだ毎日であった。何で殺人に至ったかの精神的経緯は判然としない。金貸し婆さんとその義理の妹二人を斧で滅多打ちにし、死に至らしめる。おりしも彼の妹のアブドーチャはルージンという歳の離れた弁護士と婚約しペテルスブルクに来るという。彼女ら二人が到着する前日ラスコリーニコフは殺人に及んだ。退廃的生活と活きる希望もなしに日々荒んだ生活を送る元大学生というように読み進むうちに太宰治の「人間失格」に思い当たる。罪を犯したラスコリーニコフはどのように生きようとするのか?第1巻は終わる。

金曜日, 4月 30, 2010

村上春樹著「1Q84」BOOK3を読んで。

BOOK1からBOOK3まで、本当に楽しませてもらった。2010年早くも私的にベストワンなる文芸書だと思う。架空の1Q84年から最後に現実世界の1984年に、青豆と天吾と受胎した小さな者と一緒に。BOOK3で明らかになる、登場人物の詳細が明かされる。青豆、天五、セーフハウスを経営する金持ちの婆さん、ボディーガードのタマル、新興宗教教団のリーダーそして部下そして元弁護士で今や教団に雇われて青豆を追う牛河、空気さなぎの著者深田絵里子。登場人物が織り成す様々な行動が青豆を中心に徐々に繋がってゆく。著者の文体と形容と描写はまさに天才的だ。小さなファンタジーを絡め登場人物それぞれの生き方を描写する。著者は言う「人は希望を与えられ、それを燃料とし、目的として人生を生きる。希望なしに人が行き続けることはできない。しかしそれはコイン投げと同じだ。表側が出るか裏側が出るか、コインが落ちてくるまでわからない。」と。それにしても兎にも角にも面白かった。

火曜日, 4月 27, 2010

PG・ウッドハウス「それいけジーヴス」を読んで。

兎にも角にも、四月は営業及び稼動指導で忙殺された。北海道から九州とそして東京と、好きな読書も間々ならぬ状況だった。
そんな中で、トム・ロブ・スミスの「クラーグ57」を読んだ後でウッドハウスの「ジーヴス」を読むと、何故かほっとする。主人公のヴァーティー・ウースターと従僕ジーヴスとのヴァーティーの知人・友人を回る騒動に完膚なきまでの知略を持ってジーブスが対処する。その見事さはユーモアという言葉があるとすれば、まさにこれがそうだと思わせる。世の中バカが居て利口が居て成り立つと思う。疲れた時に読むと何故か本当にほっとするのは私だけであろうか。

トム・ロブ・スミス著「グラーグ57」上下巻を読んで。

スターリン時代末期のソ連の軍事体制化で、国家保安省の殺人課の役人であるレオ・レミドフは妻ライーサとの間に子供が持てないため養子として二人の娘を持つに至る。
その子供達の親はかってレオが、強制連行した者であった。長女のゾーヤはレオに一向に馴染まずレオを殺そうとする。それでも主人公レオが家族の愛を求めて、グラーグ57の刑務所送りになり運よく帰還しゾーヤを取り戻そうとする執拗なまでの愛情とは?前作「チャイルド44」の続編としての作品である。

水曜日, 3月 31, 2010

ディアゴスティーニ「週刊 江戸」第2巻を読んで。

江戸城創建に纏わる秘話と家康の思い。1590年江戸に入った家康は翌年関が原の戦いに勝利しその3年後の1603年征夷大将軍となり、翌年から江戸城の大改修工事がスタートする。その後10年に渡り工事が続けられる。藤堂高虎による設計と家康による共同制作が江戸城だという。
当時の江戸庶民の服装や持ち物また東海道の川崎宿が紹介されている。当時でも川崎太師こと平間寺は有名で江戸後期には参拝客が多かったという。毎年正月の2日は、初詣に川崎大師に出掛け、葛餅を買って帰るが、住吉という店舗は天保年間の創業だと知った。
また庶民の暮らしで湯屋つまり銭湯が紹介されている。当時は混浴で、湯槽ゆぶねは暗く余り清潔ではなかったという。そして江戸は究極のリサイクル・エコ社会だったと。糞尿までリサイクルした超還元社会、鋳掛屋に始まり羅宇屋らおやという煙管の吸い口と吐き口を繋ぐ竹製の筒のヤニ掃除から取替えまで行っていた。この全集は江戸庶民の生活がカラー図及び写真で楽しめる。

火曜日, 3月 30, 2010

森 和昭著「日本のITコストはなぜ高いか」を読んで。

二十数年間、IT業界の末端に身をおく者として、この本を手に取った。著者の言わんとする日本のITコストの高い理由とは、「保守料金体系」だと言う。21世紀のIT・情報通信技術の進化はSaaSに代表されるクラウド・コンピューティングにいきつつあるとして、こうしたコスト削減を目指す世界的動向からかけ離れた存在が日本のIT社会の中での保守料金だという。しかし中身は大・中堅企業の開発費にしても数十億円という莫大なシステムそして保守料も年間数億円という規模の話であって、我々の小規模な世界の話ではない。年間IT投資額が12兆円でそのうち保守料は1兆円だという。そして79万人がIT関連企業の元で働いている。欧米では既に保守のサービス及びサポートは分業化されているようだ。しかし、日本の企業が求めるシステムは、その企業独自のシステムである場合がほとんどで、一部はSaaSに移行するにしても基幹及び勘定系システムは当分画期的な技術が現れない限り無理だと思う。最近の話では、日本の携帯情報端末の通信方式が、南米の各国で採用されつつあるという。日本独自の技術は日本の風土の中で生まれた特異なものであるが、それが他国で認められるというのは何故か嬉しい気持ちにさせてくれる。

月曜日, 3月 29, 2010

東野圭吾著「新参者」を読んで。

東京は、下町江戸風情が残る人形町界隈を中心とした日本橋署の刑事である加賀の活躍を描く警察ミステリーである。この本が「このミステリーがすごい」と書店で表札を掲げていたので購入した。北海道は札幌市内薄野の、ジュンク堂書店にて。この本の評価がミステリーとして評価が高いといわれる理由が全く不明だ。人情がらみの刑事さんの物語といった何の変哲も無い面白くも無いミステリーだが。何故か評価が高いと。

木曜日, 3月 25, 2010

野村総合研究所著「これから情報・通信市場で何が起こるか」を読んで。

この本を読んで、一般に言うところのIT関連の市場の巾の広さにびっくりする。ブロードバンドから携帯情報端末、家庭や介護用のロボットまで実に広く内容が濃い。世界市場及びその地域の慣習・特性と経済状況によってもITかの進捗が異なる。高速低価格通信を介しての音楽・映像の結びつきは、現在の様々な市場及び分野で変革が起きている。ネットに広告費を奪われる放送局、今やPCやネットブックの製造組み立てはOEM、ODMを通して台湾メーカの独壇場となった。また携帯端末は日本市場では飽和状態に近くインセンティブ形式の販売方法は、一気に普及へと向かった。日本独自の端末通信方式による携帯端末は、優れた先進機能を有しているにもかかわらず、世界基準になってないなど問題も多い。2010年以降の情報通信市場はどのような方向に向かうのか?をこの本は示している。私の興味は、携帯情報端末を使用したビジネスソリューション、そして革命的ともいえるSaaSクラウドコンピューティングが、日本の風土とどのようなマッチングと進化を図るのか?

木曜日, 3月 11, 2010

ダン・ブラウン著「ロスト・シンボル」下巻を読んで。

マラークなる前身刺青をした殺人鬼は、ラングドン教授、そしてソロモン家のピーターとキャサリンを執拗に追う。下巻では、人間と神と知恵という古より永遠のテーマに挑戦する。ワシントンDCに集められた神秘のベールを剥がそうとする殺人鬼マラークは、実はピーター・ソロモンの息子ザカリーだった。フリーメイソンを到して古来より守り続けられたピラミッドの秘密が解き明かされる。

月曜日, 3月 08, 2010

ダン・ブラウン著「ロスト・シンボル」上巻を読んで。

予約した本書がやっと手元に届いた。ロスト・シンボルのバッジと供に。過去の著者の小説は全て読んでいる。象徴学を専門とする大学教授ロバート・ラングドンが、今回も活躍する。ある日ラングドンは、旧友のピーターより講演の依頼を受けワシントンDCにそれも連邦議会議事堂だ。彼を待ち受けたのはピーターの切り落とされた腕であった。講演依頼は偽情報と気づく。そして何故かCIAのやり手の部長サトウが現場に駆けつける、ピーターの一家に纏わる物語が展開される。母、息子、妹キャサリンそして一家はフリーメイソンの上位階にあり代々受け継がれたピラミッドの謎が浮上する。そして旧友ピーターから託された小さな箱を持って議事堂に出向いたラングドンの身に危険が迫り来る。後半は、正にスリルとサスペンスの渦中に読者を陥れ下巻を読まずに居られない状況を作りだす。

日曜日, 2月 14, 2010

村上春樹著「1Q84」BOOK2を読んで。

リアルとフィクションが交錯した著者独自の世界が展開され、読み手を翻弄する。天吾と青豆そしてふかえりが織り成す現実リアルな世界から、仮想的精神世界への出入りが交互に繰り返され、リアルがフィクションにフィクションの世界がリアルな世界に。人の生の運命の見えない絆と暗く覆い被さる贖い切れないネバネバとした正に「空気さなぎ」の糸のように、絡められてゆく切りしかないのであろうか、人の人生は?
BOOK3がこの4月に発刊されるという。

金曜日, 2月 12, 2010

村上春樹著「1Q84」BOOK1を読んで。

兎に角面白い。あっという間にBOOK1を読破した。ふかえりという17才の少女が書いた「空気さなぎ」という小説に出版社に勤める編集社の小松を通して巡り会った天吾が運命の扉を開かれ、日常が非日常へと変化してゆく。また青豆という名前のインストラクターを職業とし裏である殺人組織に関与し実際に殺人を犯している女性の日常が交互に描かれてゆく。BOOK1の段階で天吾が当時10才だった女の子が、青豆で青豆が愛おしく思っている男性こそが天吾ではないか。またふかえりという少女の運命を弄んだ宗教法人「さきがけ」と戎野先生の関係等々。BOOK2を早く余みたい気持ちにせさる「海辺のカフカ」と違ってミステリー的要素が一段と色濃く面白さが倍加している。それにしても著者の文章の流麗さは見事で、唯々感心するばかりだ。

月曜日, 2月 08, 2010

クリス・アンダーソン著「フリー」を読んで。

著者は、ロングテールを提唱したアンダーソンだ。フリーという内容は、「自由」と「ゼロ」との意味があるという。著者は、アトムの世界とビットの世界を分けて解説する。ビットの世界では、既にフリーソフトウェアつまりオープン・ソフトウェアに始まり、ファイル交換など定着している。今後のビジネスモデルとして、如何にフリーを組み込むか。フリーと有料のハイブリッドなど数々のビジネスモデルを紹介している。ビットの世界では、現在希少価値を有している商品でも、コモディティ化により限りなくフリーつまりゼロに近づくという。またビットの世界とアトムの世界との融合化したビジネスモデルも考えられる。本書を読んで、オーダー対応のソフトウェアの開発納品を生業としている我が社にとって、フリーとの付き合いは今後のビジネスモデルにとって重要な課題となると思う。

デアゴスティーニ週刊江戸」を読んで。

創刊号を購入し、定期購読を申し込む。20冊位と思っていたが、なんと100冊だという。前ページカラー刷りにて、江戸265年の歴史、文化、芸術あらゆる項目を取り上げるという。10冊単位での専用バインダーも中々良くできている。今まで江戸に関する本を数冊読破してきたが、体系的になっていない断片化された知識なので思い切って購入することにした。

土曜日, 1月 30, 2010

ドン・ウィンズロウ著「犬の力」下巻を読んで。

いよいよ、物語は佳境に入る。様々な抗争を経て、遂に麻薬カルテルの親玉アダン・バレーラと特別捜査官アート・ケラーの戦いは最終章へと。娼婦ノーラの密告により、アダン・バレーラの企みを悉く粉砕するアート、密輸、権力との癒着、暴力抗争、陰謀、暗躍あらゆる人間世界の悪の象徴そのものを「犬の力」と言うのだそうだ。この犬の力に真っ向から生命を賭して立ち向かうアート・ケラーの根源的力が、即ち神の力ではないか。この種の血で血を洗う物語にしては、読後の清涼感は何なのであろうか。著者の力量を感じさせる正に五つ星の娯楽小説である。

ドン・ウィンズロウ著「犬の力」上巻を読んで。

アメリカとメキシコ国境を境に、サンディエゴからメキシコのティファナそして南米の小国が登場する。舞台に主な地はメキシコのグアダラハラそしてティファナとサンディエゴだ。実は数年前にロサンゼルスへ行った際に、国境を越えティファナへ行った。通関してバスに乗ったが、そのバスの車体及びガラス窓には無数の弾痕があった。そしてティファナの街は、「いかがわしい」の一言であった。舞台はメキシコ、アメリカ側DEAの特別捜査官アート・ケラーを中心に物語は始まる。麻薬コカインとメキシコマフィアそして汚職、殺人、暴力そして復讐と悪の全てを描き出す著者、そして神の存在のと対比しながら。昨年後半に読んだ「ミレニアム」に匹敵する面白さだ。この小説の中身そのものが、真実と思えるほどの迫力だ。暴力、殺戮の中にマフィアそしてケラーの家庭を妻を描く、物語に登場する様々な人物のデイテイルと心理描写まで、正に秀逸の作品だと思う。著者の無限の可能性を実感する。

水曜日, 1月 20, 2010

マイ・シュヴァール、ペール・シュヴァール共著「笑う警官」を読んで。

スウェーデンのミステリーもミレニアム以来その地名にも慣れた。マルティン・ベックシリーズの第4作目となる本書は警察小説のスタンダードというべき出来映えである。ベックを取り巻く同僚の個性が衝突しながら各々の私生活を交え、犯人を追い詰めてゆくディテイルは見事である。物語は、ある夜市内循環バスの乗客9人が射殺され60発以上にもおよぶ弾痕は、死体の確認が困難なほど無残な猟奇的殺人事件の発生から始まる。「ロゼアンナ」に登場する若き尾行の上手な警官ステンストルムも死体となって発見される。16年前迷宮入りとなっているスペイン人女性の他殺体の殺人事件を追っていたということが判明しベックは、何故彼がバスの中で殺されたかを調査し、遂に必死の捜査の上犯人を追い詰める。といった警察小説である。

月曜日, 1月 18, 2010

佐藤正午著「身の上話」を読んで。

平坦な語り口調のこの物語は、NHKの週刊ブックレビューにて知った。主人公の古川ミチルは、友人からの依頼もあって宝くじを買う。その日不倫相手の東京の出版社の豊増を追って東京へと。宝くじの43枚の中の1枚が一等に2億円当たっていることに気づく。その日からミチルの人生は予想もしない様々な状況に巡り会う。そして殺人が起きる。宝くじの1等が当たったばかりに起こる悲劇、偶然とはそのようなものであろうか。そして物語を語る本人の境遇もまた最後になって判明する。ちいさな「どんでん返し」ともとれる結末である。人生とは誠に持って偶然の重なり合いそして巡り会いもまた偶然としか言いようがない。

日曜日, 1月 17, 2010

五木寛之著「親鸞」下巻を読んで。

吉水へ行けと運命の声を聞いた範宴は、法然上人の草庵へ念仏を聞きに日参する事になる。只ひたすら法然上人の語る言葉を聞くために、思えば比叡山での命がけの修行の中でも真理は見いだせなかった。そんな折り、余命幾ばくかと越後へ帰った紫野と巡り会う、今は出家して名を恵信という。専修念仏の思想、念仏を唱えれば、悪行を積んだ者でも極楽浄土を行けるという思想を説く法然上人と遂に巡り会うことができた。範宴の中に自分を見る法然上人は自らがしたためた選択本願念仏集を範宴に託す。やがて遵西ら弟子たちが専修念仏思想を曲解して、淫らな法会が巷での評判となり、遂に朝廷から念仏停止の立て札が至所に掲げられ、弟子数人は鴨の河原で斬首となった。範宴改め綽空も命を取り留めたものの越後へ流されることとなった。越後での択本願念仏集を広めることを人生の契機として名を善信から親鸞へと。殺伐として時代背景の下で僧として自らの生ける道を模索する親鸞の限りない真理探究と自己否定とそして研鑽を積むことによる実存主義哲学でいうところの「投企」を親鸞に見る思いである。

木曜日, 1月 14, 2010

五木寛之著「親鸞」上巻を読んで。

忠範といわれた親鸞幼少名を中心に書かれた上巻は、親戚の日野家に兄弟3人が預けられた生活が描写されている。12世紀末その頃の京の町は、貧困に喘ぐ者や、病人、武者が屯し、鴨の河原では死体が次々と投げ込まれ異臭漂うそんな状況下で、忠範はある日、辻で猛牛のアタックを受けるという危険な目に遭い危うく命を落とすところを3人に助けられた。家系の苦しい日野家は忠範に出家を言い渡す。ひょんな縁から天台宗総本家比叡山に上る幸運を掴んだ忠範は12歳の時であった。範宴(はんねん)とし、それから20年に渡り比叡の山での厳しい修行の中で次第に「仏とはなにか?」から始まり次々と湧き出てくる疑問に修行をすれども答えを見いだせない苦悶の日々が続く。比叡山では僧も階級性が敷かれ、抑も僧とは何かまで生きる根源的な問いを自らに問う日々を送る。そして世に言う「六角夢告」聖徳太子を祀る六角堂への百日参籠の95日目に太子の示現により夢告を受ける。そして法然上人のいる吉水に行けというお告げを受けた。

土曜日, 1月 09, 2010

シュバール著「ロゼアンナ」を読んで。

2010年第1冊目は、昨年「ミレニアム」に刺激されスウェーデンの作家をこの機会にということで読んでみた。後にマルティン・ベックシリーズとして5,6冊を数えている、所謂警察小説というか題名のロゼアンナは殺された被害者の女性の名前である。他殺体が海中より発見され捜査が開始されたが、中々犯人を特定きずに日時が経過するなかアメリカのカフカ刑事からの被害者の情報が飛び込んできた。捜査にあたる数人の刑事たちと犯人との心理作戦は面白い。遂に囮捜査に踏み切るマルティン・ベック警部、犯人は精神異常者であった。。。

木曜日, 12月 31, 2009

2009年 年間一人の読者大賞

今年も乱読に終始したが、やはりミステリーが中心であった。そして年末に至りスウェーデンの今は亡き作家スティーグ・ラーソンに出会った。「ミレニアム」シリーズ3部作およそ3000ページに及ぶ大作である。スケールの大きさ、ミステリーとしての面白さとすべてに渡り★★★★★である。私個人の一人の2009年読者大賞は、「ミレニアム」シリーズ3部作に決定いたします。

スティーグ・ラーソン著「ミレニアム3」を読んで。

あっという間に、「ミレニアム3」を読破した。素晴らしく面白い。J・ディーヴァー「ソウルコレクター」を凌駕している。ミレニアム2の後半を引き継ぐ形でミレニアム3が展開を始める。リスベットは、病院に収容されリハビリを続ける。一方ミカエル・ブルムクヴィストが呼ぶところのザラチェンコ・クラブを組織するスウェーデン警視庁公安部の影の「班」と呼ばれる者たちが、ザラチェンコなるスパイを非合法的に数年にわたり保護してきた事実をもみ消そうと、躍起になってあらゆる手段を持って抵抗を始める。後半はいよいよリスベット・サランデルの裁判へと国を揺るがすいわゆる国家の闇を暴く裁判へと進む。ミカエルの妹アニカ弁護士と法廷での戦いそして「班」との抗争が平行して物語は緊迫した中で進み読者を離さない。そして、サランデルは無実を勝ち取った。著者の女性に対する性的暴力を含めあらゆる暴力に対する徹底した抵抗テーマにかくもこれほどのサスペンスとミステリーに発展させる力に感服、そして今年最後にこの本に出合えたことを幸福と思う。

スティーグ・ラーソン著「ミレニアム2」を読んで。

スティーグ・ラーソン著「ミレニアム2」を読んで。
たて続けに、ラーソン著「ミレニアム」シリーズを読んだ。2作目は、リスベット・サランデルの過去が暴かれる。サブタイトルは、「火と戯れる女」だ。彼女の強烈な個性は、一度前編第一作を読んだ読者は、忘れられない印象と供に書店に走らざるを得ない状況に置かれる。それほど面白い。ミレニアムⅠが、ドロドロした血縁の中に起こる正に横溝正史的サスペンス&ミステリーに対し、Ⅱでは俟たしてもリスベットの周辺で起こる殺人事件が起こる。再び、ミカエル・ブルムクビストとの再会となる。彼女の強烈な個性を中心として、様々な登場人物そして読者をグイグイと引き込んでゆくミステリー&サスペンスは、多様な伏線を用意し、最終ページまで一挙にページを捲ることを強要させられる。ラーソンは、本著で全世界の女性に対しての「女性解放宣言」ではなかろうかと思われる。このミレニアムは、決して悪そして不遇に屈しない堂々とした女性を計り知れない愛情を持って描いていると思う。

日曜日, 12月 20, 2009

スティーグ・ラーソン著「ミレニアムⅠ」を読んで。

著者は、北欧はスウェーデンの記者を経て作家活動に入ったという。3部作の長編推理小説のうちの第一巻が表題のミレニアムⅠである。残念なことに、この3部作執筆終了時点で事故で他界したという。ストックホルムから北にあるヘーデスタ及びヘーデビー島中心に物語りは始まる。雑誌ミレニアムの共同経営者であるミカエル・ヴィルムクビストはとある国際的シンジケートを操るヴェンネルストレムなる人物に関する記事により名誉毀損で有罪判決を受ける。現状の仕事に対する意欲を失墜し休暇の為自分の別荘へと、そこへヘンリク・ヴァンゲルなる人物より自分史の執筆の依頼が来る。この大物老実業家ヴァンゲルとヘーデスタでの依頼人との契約の中孫のハリエットの失踪を知る。著述は表向きで実際はその失踪事件の解明を希望される。やむなく契約しミカエルの1人での失踪事件の捜査が開始される。物語は、ドラゴンタトゥをしたリスベット・サランデルなる女性の描写と平行して進む。そして二人はやがて一緒に失踪事件に取り組むことになる。彼女は得意な記憶能力とパソコンを自由に操るいわゆるハッカーとしてスウェーデンでも屈指の達人として知られている。30年前のこの事件の捜査を巡り二人の取り組みが始まる。ミカエルの身に様々な災厄が降りかかり30年前の事件が今でも生きていることを証明される。ヴァンゲル家の様々な人々の描写、ミレニアム共同経営者エリカ・ベルジュとの関係と描写、サランデルの過去と事件の伏線の描写は読者を飽きさせることなく進んでゆく。そして事件はヴァンゲル家の内部で発生した事を知ったミカエルは、敵の住む家へと。北欧の地を舞台にカリブまでスケールの大きさを感じさせるJ・ディーヴァーを凌駕するほどのミステリーだと思う。

日曜日, 12月 06, 2009

ジェフリー・ディーヴァー著「ソウルコレクター」を読んで。

550ページにもなる長編である。リンカーン・ライムとアメリア・サックスのコンビが、犯人を追跡するシリーズだ。物語は、ある巨大なデータマイニングセンターを中心に展開する。犯人の正体は「全てを知る男」だ。住所、氏名、家系、数ヶ月間のクレジット情報から趣味、行動パターンさらにGPSによる追跡調査まで、そして様々な物を収集するコレクターだ。リンカーンを中心とする犯罪捜査斑の身内にも犯人の魔の手が伸びる。いとこのアーサーが殺人犯として起訴されることから、不審に思ったリンカーンの捜査が開始される。殺人犯のルーキーといわれるプラスキー巡査、ニューヨーク市警ロン・セリットー警部そしてアメリアと殺人犯は執拗に攻撃を開始する。例のディーヴァー特有のどんでん返しを期待して読み進める。が幕切れはデータマイニングセンターの警備員の犯行と判明する。期待して読んだが、過去のディーヴァーの作品からするとまあまあかなと思わせる出来だ。

月曜日, 11月 23, 2009

エラリー・クイーン著「大富豪殺人事件」を読んで。

今月は、エラリー・クイーンで終わってしまいそうだ。今ジェフリー・ディーヴァの最新作「ソウルコレクター」を併読中である。ニューヨークの有名ホテルの豪華な一室で、中国帰りの富豪が殺される。乗り気でなかったエラリーもやがて事件解決に望む。今までのクイーン作とはひと味違う感じだ。なにかわくわくさせるものが無い。

月曜日, 11月 16, 2009

エラリー・クイーン著「シャム双子の謎」を読んで。

またまた、クイーンのミステリー1930年前半の著作だ。クイーン父子が休暇でニューヨークを離れ山中を愛車デューセンバーグを駆り走行中山火事に遭遇し、山頂へと追われ行き止まりにある一軒の家に助けを求める。この家は著名な医学博士の研究所兼自宅であった。博士が殺される。そしてまた弟の弁護士も殺され、クイーン父子は窮地に立たされる。本題のシャム双子を絡めて謎はますます深まり、犯人の特定が困難にしかし結末は、単純で密室殺人特有のトリックはない。評価の分かれる書である。

日曜日, 11月 08, 2009

エラリー・クイーン著「フランス白粉の謎」を読んで。

今月も、まずクイーンの作からだ。とある百貨店で殺人事件が起こった。クイーン警視と息子のエラリーが捜査にあたる。名声を得てから、2作目だという。ストーリーは、単純だが読者を悩ます様々な物的証拠を提供しつつ読者に挑戦するクイーンの姿勢は、これまでの著作と変わらない。これらのプロットを押さえつつ、創造的推理による連鎖を紐解く著者の類い希なる頭脳にただ感心するばかりである。

日曜日, 10月 25, 2009

エラリー・クイーン著「エジプト十字架の謎」を読んで。

概して、出張が頻繁にあると本が読める。移動体の中での読書となる。ミステリーは、移動中の読み物としては、最適だ。今回もエラリー・クイーンだ。書名は「エジプト十字架の謎」数ページ読み進むうちに早くも木柱に磔刑にされた首なし死体が登場する。ヨーロッパから米国への移民どおしの宿念を背景に次々と磔刑の被害者が出て、さすがのクイーンもお手上げ状態だ。家族と家族そして兄弟間の争いを通して、次々に起こる殺人事件、最後に以外な展開とまさにミステリーの古典に相応しいプロットだ。

土曜日, 10月 24, 2009

堀口敬著「原価管理」を読んで。

製造業の原価管理は、実に困難だ。この書は、どこまで原価管理をやるべきかを示している。製品1個につき、膨大な時間を費やし管理しても無駄だと。原価管理は、コスト管理と営業で実践に使用できるものでなければならないと、自分もそう思う。熔断業の原価管理を考える上で、この書に貴重な情報を得た。@PartsLinkシステムに原価管理オプションを是非加えたい。数十社の経営者と話をさせていただいているが、原価についての認識を持つ経営者は皆無に近いのもまた事実だ。

日曜日, 10月 18, 2009

アガサ・クリスティー「アクロイド殺し」を読んで

著者の数冊目に当たるミステリーだと。1926年作というから戦前のものである。最近古典的ミステリーを読んで思うのだが、少しも古さを感じさせないし寧ろ新鮮なプロット、トリックに驚かされる。今回の「アクロイド」という書名を不思議に思ったのだが、イギリスは片田舎の邸宅の主人の名前であった。語り手の医師ジェイムズによる物語の展開、殺されたアクロイドを取り巻く人物像の描写そして次第に各容疑者の過去が、名探偵ポアロの登場により、明らかにされる。遂に語り手である医師の犯行が。。アガサの中でも傑作といわれるこの著は発行後、トリックの是非について大いに話題となったそうである。

火曜日, 10月 13, 2009

ガストン・ルルー著「黄色い部屋の秘密」を読んで。

著作は、1907年刊行とある。まさに100年、世紀を超えて読み継がれたミステリーの名著に恥じない珠玉の出来だ。事件はパリ郊外の城の一角にある物理学の研究部屋である「黄色い部屋」で、著名な学者の娘が襲われることから始まる。この事件に若き新聞記者が派遣され、事件の謎を解明しようと懸命になって知人の弁護士と取り組む、そしてその件は少々冗長さを伴い読者を疲労させるが、後半は一気に読破せずに居られぬ状況にされる。現代のJ・ディーヴァーおも彷彿とさせるローラコースター的どんでん返しは、見事である。

木曜日, 10月 08, 2009

クレイグ・ライス著「時計は三時に止まる」を読んで。

著者の作品は、今回初めてである。1939年というから古い。ジェイクとディックそしてヘレンの3人が織りなすドタバタと殺人事件が同居するといったミステリーだ。用意周到なプロットは無い。殺人事件は、古い邸宅の一室で起こる。ディックの婚約者ホリーの家の伯母が殺される。そして時計という時計が全て午前三時を指して止まっている。このトリックをどうやって解き明かすかを興味を持って読んだが、結末は今となっては単純で面白みに欠ける筋書きだ。

月曜日, 10月 05, 2009

島田荘司著「斜め屋敷の殺人」を読んで。

北海道のある丘の上に立つ瀟洒なおイタリアピサの斜塔を思わせる館、この館はすべてが斜めになっている。この斜め屋敷で、年末のパーティに招待された客が次々に殺される。この密室の怪事件を解決するべき1人の占い師とも呼ばれる人物が派遣される。最後まで、この密室の謎が解けない。綾辻行人のまさに館シリーズ殺人事件とも相通ずるものがあるが、この斜め屋敷が、殺人の意図を持って周到に計画された点が違う。日本人作家としての館を題材にしたミステリーとしては、島田がより面白い。

中村八洋著「地政学の論理 拡大するハートランドと日本の戦略」を読んで。

懐かしいというか、1970年代後半倉前盛道の「悪の論理」を読んで以来30数年ぶりになる。読み始めて著者の巻末のプロフィールを確認するほど、右翼的過激な文章に辟易する。著者の根底にある論理は、マッキンダー及びスパイクマンの地政学のものだ。ロシアをハートランドとし、周辺の国家をリムランドと呼称しハートランドに対して如何に防衛するかを説く。50年も前の地政学の理論を持って、現状世界の戦力構造を分析し、政権交代に酔う日本に痛烈な批判と警告を発する。何故か現状と遊離している感は否めない。

アガサ・クリスティー「そして誰もいなくなった」を読んで。

1930年代、つまり戦前のミステリーになる。過去裁かれることのなかった犯罪を殺人を犯した10人が、絶海孤島に集められる。その邸宅に集められた10人の犯罪が、LPプレイヤーから流される。そして殺人劇が幕を開け、次々と殺される。10人の心の葛藤や互いのプロフィールが、徐々に明かされ、そしてまさに、誰もいなくなった。古典的ミステリーとして出色の出来だ。読者を一気に最終章に引き込む魅力を備え、古典としてこれからも引き付けてやまないだろう。

水曜日, 9月 23, 2009

綾辻行人著「人形感の殺人」を読んで。

これまで、数冊著者の「館」シリーズを読んだが、何故か最後章の結末については、些か拍子抜けとしか言いようが無い。館に至る状況説明は、細部に渡りいよいよ殺人事件が発生する。飛竜想一なる主人公の回りに発生する幾多の不可解な事象が、主人公の28年前の過去との連鎖から、或は例の中村青二なる建築家による館の絡繰りを連想させ読者はこの人形館を舞台にどんな謎解きが在るかと期待するが、突然主人公の精神異常で片付けられてしまう。なんとも後味が悪いとしかいいようが無い。

金曜日, 9月 18, 2009

太宰治著「人間失格」を読んで。

この書の中にあるのは、極細の神経を持った少年時代の姿それは一部自分自身を投影してるかのように、惨めで悲しい極限までの自己否定だ。酒に溺れ、女に酒池肉林の中に安住しようとするどこまでも世の中の片隅から隙間見る少年の時代そのまま成長する葉蔵の姿だった。「人間失格」発刊の直前に命を絶った太宰の生きた三十数年間は、戦前戦中そして戦後の混乱の中に在った。雪の降る夜酒に酔って喀血する葉蔵は、雪の中に日の丸を描いたと思う。この鮮烈なシーンが読んだ後でも脳裏から離れない。人間の生とは、斯くも悲しく寂しい事なのかと。

土曜日, 9月 12, 2009

F・W・クロフツ著「樽」を読んで

前著に続き推理小説の古典的名著と言われるクロフツの「樽」1920年代の作品である。江戸川乱歩をして「リアリズムの推理小説の最高峰」と言わしめたこの作品は、明智小五郎やホームズといった名探偵が推理し事件を解決してゆくといった物ではない。普通の刑事が読者とともに足で捜査してゆくといった面白さは読者への挑戦とも取れる当時としては画期的な構成であったことが、容易に理解できる。古典としての地位を不動のものにする確固たるものがある。前著「月長石」と違って、本格的ミステリだ。

水曜日, 9月 09, 2009

ウイルキー・コリンズ著「月長石」を読んで

エラリー・クイーンに、推理小説の古典的名著と言わしめたコリンズの「月長石」(ムーンストーン)は文庫本で800ページにも及ぶ大作である。
この物語は1800年代中期、ロンドンから当時馬車で2時間余場所はヨークシャこの地で裕福なヴェリンダー家の晩餐会に招かれた招待客が物語の主人公である。晩餐会が終わり各招待客が床に就いた深夜、ムーンストーンが盗難に遭う。物語はヴェリンダー家の住人から始まり招待客各自のその後、ヴェリンダー家のレイチェル嬢の恋愛を織り交ぜ様々な伏線を用意した、現代でも通ずる内容となっている。推理小説というよりは、純文学の域でも立派に通用すると思う。

土曜日, 8月 22, 2009

綾辻行人著「迷路館の殺人」を読んで。

綾辻の「館」シリーズも4,5作目になるが、期待を裏切らない面白さがある。宮垣葉太郎なる作家の還暦の祝いに招待された館は例の中村青二設計によって建てられた迷路館なる屋敷である。招待された7人の中にミステリー作家が4人、そこで宮垣の遺言による4人の作家による遺産争奪推理小説コンテストが、行われることになった。しかし、その4人は次々と自分の書く小説のとおり殺されてゆく。この作は、小説の中に小説が
あるような設定になっていて、最後の最後まで犯人が特定できない面白さがある。

日曜日, 8月 16, 2009

エラリー・クイーン著「オランダ靴の謎」を読んで。

この著作は1931年の発刊であると、昭和7年の戦前のものである。この推理小説は、オランダ病院という院内での殺人事件をエラリーが謎をといて行く探偵小説である。既にこの時代に活躍していた日本人端艇小説家として横溝正史や江戸川乱歩らがあったと記憶する。初めて翻訳されたこの「オランダ靴の謎」は前者の日本人探偵小説家にとって衝撃的であったと解説してある。
読んでみて、ほとんど現代にも通ずるし古さを感じさせないトリックである。中篇には犯人探しを読者に挑戦する章もあったりして興味をそそられる。

火曜日, 7月 28, 2009

エラリー・クイーン著「Yの悲劇」を読んで。

Xの悲劇に続き、今回の「Yの悲劇」は、素晴らしく面白い。例によって、主人公である老俳優兼探偵
ドルリー・レーン氏によって事件の解決に望む。
舞台は、富豪のキャンピオン家に起きた主人ヨーク氏の殺人に端を発しエミリー老婦人が殺害される。
富豪一家の登場人物も種々多彩な人々である。ある種密室殺人だが、読み進むにつれて犯人を連想するのだが
全て見当違いとなった。殺人事件の起きた通称「死の部屋」に居た、盲目で聾唖者のルイザの触覚と嗅覚のみ
が今回の事件の謎解きの唯一の手掛かりである。
結末は思わぬ結果となるが、探偵レーン氏の謎解きは否この推理小説のプロットは可成り練られた印象である。この作品が1933年の物だという。今から70数年前に既にこんなにも面白い推理小説を書いた著者たちに感謝したい。

土曜日, 7月 18, 2009

カズオ・イシグロ著「わたしを離さないで」を読んで。

主人公である、キャシーが回想する英国は片田舎の全寮制の学校をイメージして読み始める。同僚や先生とのたわいのない会話や日々の出来事、同僚のルーシー、トム、クリシーやロドニーと。青春恋愛小説を想像して読み進めていくうちにふと出会う言葉が、それは「提供者」「介護人」という。行き成り物語りをSFの世界に引き込む2つの言葉の真相をという具合に頁を繰る。そして物語の世界はクローン人間なる臓器提供者と介護人に分類された人間のものであった。作者の作品は、今回初めてであるがこの物語は周到に綿密に計算された他に類を見ない小説だ。限られた生の中で藻掻く、生きて、恋してが、現代社会に生ける我々の境遇を垣間見る思い出ある。

土曜日, 7月 11, 2009

ウディ・アレン著「ただひたすらのアナーキー」を読んで。

俳優、作家、脚本家、映画監督と多才にして多彩な顔を持つ著者の作品は、シニカルなユーモアに溢れていた。ちょっとした小さな新聞記事から発展させ、彼独特の語り口で物語を作り上げる。そこには人生の悲喜交々とした断片や皮肉とユーモアが、交錯し合い人生の面白さを感じさせる作品である。

日曜日, 7月 05, 2009

綾辻行人著「暗黒館の殺人」を読んで。

まずは、大作である。上下巻併せて1300頁にも及ぶ推理小説は、日本人作家には珍しく思う。中村青二なる建築家が手がけたという「館」シリーズの七作目にあたるというこの「暗黒館の殺人」は、冗長性は否定できないが、何故か読んでしまわないと、と思わせる魅力がある。不死と不老という永遠のテーマを元に人間の欲の根源的な課題に取り組んだ作品だ。日本人作家特有の横溝正史にみるドロドロとした血塗られた過去を暴いてゆくと行った伝統的な手法が、日本の読者に受け入れられるのだろうか?「館」シリーズのこの作品は異色だと思うが。

月曜日, 6月 22, 2009

旅名人編集室/JHC編「アジアのゴルフ場 東南アジア編」を読んで。

東南アジアのゴルフ場を紹介している本だ。思えば、海外でのゴルフ場も意外と同じ場所に行っているなーと。タイは何度も行っているが、殆どプーケットが主でバンコク、パタヤが一度ずつ、バンコク近郊ではグリーンヴァレーとセイアムカントリーでパタヤではバンプラへ一泊し2ラウンド、プーケットではプーケットカントリ、バニヤンツリーを4ラウンドずつと。北都チェンマイでは、グリーンヴァレーとランプーンをそれぞれ1ラウンド。
最近は、マレーシアボルネオ島へ2度、ボルネオカントリーは海に面した思い出に残るゴルフ場で2ラウンド。ステラハーバーホテルの庭のゴルフ場を2ラウンドそして可成りタフなダリットベイ1ラウンドと。
インドネシアバリ島では、バリゴルフクラブとバリハンダラ廣済堂を2ランドずつ。ジャカルタ近郊には行ってない。
次は、ベトナムとフィリピンのゴルフ場を訪ねてみたいと思う。

土曜日, 6月 13, 2009

エラリー・クイーン著「ローマ帽子の謎」を読んで。

著者の作品は、「Xの悲劇」に次いで2作目である。本書は、著者の処女作で1929年の作だと。劇場で起きた殺人事件を契機に、クィーン警視とエラリー父子の捜査が展開する。犯人特定までのロジックというか展開は、処女作だけあって、かなり綿密周到に準備された感はあるが、すこし力が入り過ぎて冗長性は否めない。しかしこの年代の日本の推理小説界を考えると、このエラリーの小説は多いに刺激を与えたと思う。この時代我が愛する江戸川乱歩は何年に読んだのであろうか?そしてどんな衝撃を受けたのであろうか。

土曜日, 6月 06, 2009

綾辻行人著「十角館の殺人」を読んで。

作者のものを読むのは二作目である。「館シリーズ」である。処女作であるという。かなり練られたトリックで読むものを飽きさせない。伏線が多様に展開し読みながらの犯人の特定は難しい。中村清二なる異様な建築家による異様な建物・館の中で、次々と起こる殺人事件、愛するものを殺された犯人の執拗な復讐劇が展開される。奇妙な館、鬼才の建築家及びその兄弟と娘に纏わる秘話と。伏線の多様性を見事に纏めた本格的推理小説だ。

日曜日, 5月 31, 2009

柴山政行著「原価計算の基本と仕組みがよ~くわかる本」を読んで。

著者は、公認会計士でかつ経営コンサルであり、また専門学校の講師をしているという。製造工場に於ける原価とは?一体どうやって把握するのかという問いを基に読んでみたが、原価の仕組みから始め、財務諸表のB/SとP/Lとの関連さらに利益管理の為の原価計算そして戦術的意思決定のための、また長期的戦略的意思決定のための原価計算と幅広くやさしく解説してある「原価計算」「原価管理」の入門書といったところだ。
前述のBSとPLの関係を原価を基に説明している箇所は、思わず「成る程」と思う。

土曜日, 5月 30, 2009

綾辻行人著「黒猫館の殺人」を読んで。

ネットで、面白いお勧めミステリーとして検索した結果、タイトルの著者綾辻氏の館シリーズが眼に留まった。早速シリーズ本を購入し、年代順を問わず取り合えず第1作目に選択したのが「黒猫館の殺人」であった。鹿谷なる小説家が殺人事件を解いて行く物語の主人公である。読み終えて、私好みのJ・ディーヴァーやダン・ブラウンと違いやはり日本のミステリーには、あの読まずには眠れないようなドキドキ感やワクワク感がない。スケールが違う。現在「天使と悪魔」が上映されていると聞く。是非見に行きたいと思う。本題に戻ると特異な館・建物を建築以来した大学教授天羽博士の黒猫館と呼ばれる館での殺人事件の手記によって展開して行く。てっきり北海道の釧路での建物と思って読んでいたのだが、実は南半球のタスマニアに対となった建物がもう一つ存在したという絡繰りには、正直突拍子も無い発想には驚いた。殺人の内容は至って古典的なものであり、これといった物は無かった。

木曜日, 5月 14, 2009

半藤一利著「昭和史 戦前編」を読んで。

日清・日露戦争を経て、昭和に投入するがこの昭和の歴史(1926年から1945年)戦前の歴史は、正に激動そのものであった。講義形式での半藤さんの歴史書はこれで3冊目になるが、500ページを超える著作にも係わらず、歴史を読む面白さを余すとこなく伝えきっていると思う。半藤さんによれば、江戸城開場から明治時代までの40年さらに第二次世界大戦・太平洋戦争終結までの40年と40年おきに歴史の大転換期を迎えるという。昭和戦前史は正に戦争の歴史そして310万もの日本人の生命を賭して戦った無意味な戦争の歴史であった。日本人の官僚・軍官僚の世界観・地政学的ストラテジーの欠如、希望的観測のみで観念的世界を一人作り上げ満足してしまう精神構造をこの40年の歴史に学ぶことこそ重要であるという。それにしても、「幕末史」の中での勝海舟と同様、太平洋戦争時の山本五十六と状況を的確に把握せる人物がいたもんだと思う。

土曜日, 5月 09, 2009

小熊英二・上野陽子著「<癒し>のナショナリズム」を読んで。

1997年に発足した「新しい歴史教科書をつくる会」に始まり、2001年に出版された「公民教科書」及び「歴史教科書」に対する批判そして「つくる会」をフィールド調査を実施した上野のノートに拠り、現代日本のナショナリズムを分析しようとする試みである。「つくる会」のメンバーは、会社員、公務員、自営業、主婦など年代別には、戦後、戦中、若者と平均年齢39歳という比較的若い会の構成員だ。彼らからの会への出席そしてアンケート調査により、彼らが言うところの「普通の市民」の普通を解明し、日本民族というかナショナリズムに潜む普遍性を解明しようとする稀有な方法だ。

火曜日, 5月 05, 2009

半藤一利著「幕末史」を読んで。

前に読んだ「昭和史」同様、講義調で実に判り易く解説された物語風歴史書である。江戸城無血開城となった1863年を機に明治維新として日本の歴史が新たな展開を見るが、この明治維新は日本独特のものでビジョンも未来の国家建設のための思想も哲学もなく、流れて或いは流されていく今日に見る政治的、社会的状況と同一なものと認識されつくづく日本的だと思う。幕末に於いての雄として勝海舟と西郷隆盛両人が歴史に深く関わり度々重要な場面で登場してくるが、この二人が幕末史の両極思想を代表する。戊辰戦争そして西南戦争から、日本の軍事独立と軍国主義国家の基礎ができつつあるとみる著者の歴史への理解に同感するものである。