木曜日, 1月 14, 2010

五木寛之著「親鸞」上巻を読んで。

忠範といわれた親鸞幼少名を中心に書かれた上巻は、親戚の日野家に兄弟3人が預けられた生活が描写されている。12世紀末その頃の京の町は、貧困に喘ぐ者や、病人、武者が屯し、鴨の河原では死体が次々と投げ込まれ異臭漂うそんな状況下で、忠範はある日、辻で猛牛のアタックを受けるという危険な目に遭い危うく命を落とすところを3人に助けられた。家系の苦しい日野家は忠範に出家を言い渡す。ひょんな縁から天台宗総本家比叡山に上る幸運を掴んだ忠範は12歳の時であった。範宴(はんねん)とし、それから20年に渡り比叡の山での厳しい修行の中で次第に「仏とはなにか?」から始まり次々と湧き出てくる疑問に修行をすれども答えを見いだせない苦悶の日々が続く。比叡山では僧も階級性が敷かれ、抑も僧とは何かまで生きる根源的な問いを自らに問う日々を送る。そして世に言う「六角夢告」聖徳太子を祀る六角堂への百日参籠の95日目に太子の示現により夢告を受ける。そして法然上人のいる吉水に行けというお告げを受けた。

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