木曜日, 4月 29, 2021

山崎豊子著「沈まぬ太陽 四」、御巣鷹山に激突大破したジャンボ機123便の事故を教訓として、国見会長は会長室を作り各部署から選りすぐりの社員を配置したその中に恩地も抜擢され室の部長待遇となって10余年盥回しで僻地への赴任を漸く回避できた。会長国見の絶対安全、労使協調のスローガンは遅々として進まず、社内の管理職の汚職ピンハネが横行し改めて恩地に撲滅への決意を促すのだった。

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